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千葉神社(千葉県千葉市中央区)について

千葉神社(→千葉県千葉市中央区院内1丁目)は、古代より「妙見様」として親しまれてきた北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)を主祭神として祭る神社で、全国にある妙見宮の本宮を称しています。北辰妙見尊星王は中国から伝わった蕃神(ばんしん→異国からやってきた神)で、天の中央に位置する北辰(→北極星・北斗七星)が神格化したものです。古代には諸星・方位方角を守護する尊い神であると信じられ、平安時代前期に神仏...

稲毛浅間神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

久しぶりに稲毛浅間神社(→千葉県千葉市稲毛区稲毛)を訪問しました。稲毛浅間神社は、平安時代前記の808(大同8)年に富士山の御神体とされる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神として分霊した神社で、中世の豪族千葉氏の崇敬の厚い神社としても有名です。千葉氏の家紋の1つである九曜紋をかたどった神紋と社殿からも、千葉氏との関係性が窺えます。鎌倉時代を通して下総国守護を務めた有力御家人千葉氏も、鎌倉時代後期から南北朝...

天神宮(千葉県千葉市稲毛区)がありました

薗生神社本宮から千葉市立柏台小学校に向かう一本道を歩いていたら、「エル シエロ アズール」というマンションの前に天神宮(→千葉県千葉市稲毛区園生町)と書かれた小さな神社(祠)がありました。面白いことに道路に背を向けるように、鳥居や祠がマンションを向いて建てられています。マンションのオーナーが個人的に建てたのでしょうか。燈籠には昭和時代末期の1985(昭和60)年9月、鳥居には1988(昭和63)年11月吉日と刻まれているの...

薗生神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

薗生神社(そんのうじんじゃ)は千葉県千葉市稲毛区園生町にある旧園生村の総鎮守で、創建年は不詳ながら現在も園生総鎮守として地元の崇敬を集めています。薗生神社は妙見社の本宮と拝殿がかなり離れた場所にあるのが特徴で、祭神は17柱も祀っています。今回訪問したのは本宮のみです。旧園生村は本宮近くの金蔵院付近にあり、中世には金蔵院裏山に千葉氏が治めていた園生城(そんのうじょう)がありました。薗生神社本宮の主祭神の天...

愛親覚羅溥傑仮寓(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

愛親覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ→千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目)のある稲毛は、明治時代中期以降、保養地として多くの文人たちによって海岸線(→現在の国道14号線)の松林を中心に別荘や別邸が建てられました。また、国鉄(現在のJR)稲毛駅・西千葉駅・千葉駅周辺は陸軍施設が多くあり、大正時代後期の1921(大正10)年に京成電鉄の稲毛駅が開業して以降、浅間神社周辺には陸軍関係者や政治家の別荘・別邸も多く建てられまし...

小弓御所(千葉県千葉市中央区)を訪問しました

小弓城(おゆみじょう)は千葉県千葉市中央区生実町にある戦国時代の城跡で、もとは下総国衆千葉氏(→鎌倉時代は下総国守護として栄えたが室町時代に内訌で没落)の重臣原氏の本拠でした。戦国時代の1516(永正13)年に、上総国真里谷(まりやつ)城(→千葉県木更津市真里谷)を本拠とする真里谷武田氏(→庁南武田氏の分家)と、真里谷武田氏を支援する小田原伊勢氏(→のちの北条氏)の攻撃で原氏は敗北し、1514(永正14)年に真里谷武田氏は原氏を...

上総国分尼寺跡(千葉県市原市)を訪問しました

上総国分尼跡(千葉県市原市国分寺台中央)を訪問しました。市原市役所のすぐ近くにあります。国分寺・国分尼寺は、奈良時代の741(天平13)年に聖武天皇の「国分寺建立の詔(みことのり)」によって全国に建てられた官営の寺院です。正式には、僧寺である国分寺は「今光明四天王護国之寺」、尼寺の国分尼寺は「法華滅罪之寺」といい、その多くは国府の国衙(→国司の政庁)近くにありました。上総国分尼寺は全国の国分尼寺の寺域と比較して...

願成就寺(千葉県東金市)を訪問しました

同夢山 願成就寺(千葉県東金市)は、「總州(そうしゅう) 願成寺(がんじょうじ)」とも呼ばれる日蓮宗寺院です。「總」は「総」の旧字体です。創建時は浄土系の四宗兼学寺院でしたが、その後真言律宗(→律宗西大寺派)となり、おそらく戦国時代の「上総七里法華(かずさしちりほっけ)」(→国衆の東金酒井氏が領域内の寺院を日蓮宗に改宗した宗教政策)で日蓮宗に改宗されたものと思われます。社伝によると、鎌倉時代の1280(弘安3)年に極楽...

無量寺(千葉県市原市)を訪問しました

信樂山 無量寺(千葉県市原市)は、正式には「信樂寺 寶樹院 無量寺 (信楽山 宝樹院 無量寺)」という浄土宗寺院です。飛鳥時代の672(白鳳元)年3月に、この地で難風に遭った漁船が、荒れる海中より出現した阿弥陀如来像を村に持ち帰り、宝樹坊(ほうじゅぼう)という僧に祭祀を託して安置したのが寺の興りだと伝わります。平安時代の890(寛平2)年には、平氏の祖・高望王(たかもちおう)が父の高見王(たかみおう)のために宇堂を建立...

下総国分寺(千葉県市川市)を訪問しました

下総国分寺(千葉県市川市国分)は、「国分山 国分寺」といい現在は真言宗豊山派の寺院です。本尊は薬師如来像です。下総国分寺は、奈良時代に聖武天皇の勅命によって全国に建立された国分寺のうちの下総国国分寺の後継寺院にあたります。鎌倉時代の史料には、下総国分寺の寺領に関するものが残されていますので、鎌倉時代には創建されていましたが、南北朝時代や戦国時代の戦乱によって何度も火災に見舞われており、現在の本堂は昭...

西千葉稲荷大明神とたたりの松(千葉県千葉市中央区)を訪問しました

JR西千葉駅前に建つ西千葉稲荷大明神(千葉県千葉市中央区)は、江戸時代の旧佐倉藩の刑場跡に建てられた神社です。刑死した人々を供養するために建てられたと御由緒には書かれていました。ネットなどでは心霊スポットだとか荒唐無稽なチャンネルをアップしている人が少なからずおりますが、立ち並ぶ幟旗や絵馬の数々、鳥居の鮮やかさを見ても分かる通りとても明るい雰囲気の神社です。夜はライトアップされてとても綺麗です。入口の...

羽衣の松(千葉県千葉市中央区)を訪問しました

千葉県庁(千葉県千葉市中央区市場町)の議会棟前に「羽衣の松」があります。何度も植え替えられてきたそうですが、この松には平安時代に平常将(たいらのつねまさ)が「千葉常将」と名乗る契機になった羽衣伝説が残されています。県庁の周りをぐるぐる探していたら職員の方がここだよ、と案内してくださいました。また、千葉県庁から都川(みやこがわ)を渡る橋を「羽衣橋」といいます。羽衣伝説から採ったのでしょう。県庁から都川をは...

君待橋之碑(千葉県千葉市中央区)を訪問しました

白幡神社(→千葉県千葉市中央区新宿1丁目)から徒歩15分ぐらいの所に千葉市内の頼朝伝説の1つ「君待橋之碑」(→千葉県千葉市中央区神明町)があります。1180(治承4)年9月の石橋山合戦に敗れて房総に逃れた源頼朝は、房総半島の大豪族である千葉氏に参陣を求め、所領をめぐり既に平氏と戦争状態にあった千葉氏はこれに応え、千葉介(ちばのすけ→千葉氏の家督)の千葉常胤(ちばつねたね)が一族・郎党と連れて君待橋のたもとで頼朝を迎えた...

大日寺(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました➁

阿毘廬山 密乗院 大日寺(→千葉市稲毛区轟町2丁目)は、鎌倉時代中期の1254(建長6)年に下総守護・千葉頼胤(ちばよりたね)が源氏三代の供養のため霊鷲山 感応院 極楽寺(→神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目)の住職良観忍性を招いて松戸馬橋に創建した寺院を前身とする真言宗豊山派寺院です。頼胤の嫡子・千葉胤宗が1284(弘安7)年、千葉氏の菩提寺とするために千葉神社(→千葉県千葉市中央区院内1丁目)の南側に移転しました。1590(天正18)年の小...

来迎寺(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

知東山 聖聚院 来迎寺(→千葉県千葉市稲毛区轟町1丁目)は浄土宗の単立寺院ですが、もとは鎌倉時代中期の1256(建治2)年に千葉頼胤(よりたね)が開基、一遍が開山した時宗(じしゅう→踊念仏が有名)寺院でした。境内の説明版には千葉貞胤の開基とありましたが、貞胤はまだ生まれておらず、この時期の当主から頼胤の開基と推察されます。千葉頼胤は、蒙古襲来に際して九州に下向した西遷御家人の1人で、第1次蒙古襲来(→文永の役)の戦傷が...
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