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天嶽院(神奈川県藤沢市)を訪問しました

功徳山 早雲禅寺 天嶽院(てんがくいん→神奈川県藤沢市渡内1丁目)は、真言宗の古寺「不動院」から始まる曹洞宗寺院で、1180(治承4)年に源頼朝が鎌倉入りする途中で立ち寄り、不動明王に大願成就の祈願をしたという伝承が残ります。戦国時代初期の1495(明応4)年、小田原城を奪取して相模平定を目指す伊勢宗瑞(いせそうずい→いわゆる北条早雲)によって伽藍の一寺が創建され、僧の虎堂玄白を迎えて曹洞宗の禅寺として開山したといいま...

慈眼寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました

無量山 慈眼寺(→神奈川県藤沢市渡内)は、小田原北条氏の2代北条氏綱(ほうじょううじつな)の信頼を受けて一門に迎えられた北条綱成(ほうじょうつなしげ→玉縄城主)が、僧の韓嶺を開山に迎え、天文年間(→1532年~1555年)に開基したと伝わる曹洞宗寺院です。この場所は、平将門の乱(→939年~941年)の平定にも参加した村岡五郎こと平良文(たいらのよしふみ→下総千葉氏の祖)の邸宅跡にあるといいます。江戸時代には本山・末寺の制により...

弥勒寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました

東耀山 弥勒寺(みろくじ→神奈川県藤沢市弥勒寺)は、鎌倉時代前期の1226(長禄2)年に3代執権北条泰時が創建した臨済宗寺院の法泉寺を前身とする寺院です。法泉寺は1333(元弘3)年5月18日~22日の鎌倉合戦(→鎌倉幕府滅亡時の市街戦)で新田・足利軍の兵火により堂宇が焼失しましたが、本尊の弥勒菩薩像は「弥勒出現の井」と呼ばれる洞窟に疎開させ無事であったようです。南北朝時代の貞和年間(→1345年~1350年)に堂宇が再建されますが、...

光明寺(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

大悲山 光明寺(→神奈川県川崎市高津区二子1丁目)は、戦国時代の1571(元亀2)年に僧の専造坊が二子塚に創建した天台宗寺院を前身とする浄土真宗大谷派寺院です。『川崎市史』の光明寺縁起によると、甲斐武田氏の有力国衆で、武田氏滅亡ののち織田信忠(→織田信長の嫡男)によって滅ぼされた郡内小山田氏の一族小山田宗光(おやまだむねみつ)が専浄と称し庵を結んだと記されます。武田氏や小山田氏の一族・遺臣がこの辺りに移住するのは1...

二子神社(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

二子神社(ふたこじんじゃ→神奈川県川崎市高津区二子1丁目)は、江戸時代前期の1641(寛永18)年に、甲斐武田氏(→1582年3月11日滅亡)の有力国衆であった郡内小山田氏(→1582年3月24日滅亡)の一族で、この地で帰農した小山田兵部(おやまだひょうぶ→名前は不明)が創建したと伝わる神社です。1590(天正18)年7月に小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たすと甲斐武田氏の一族や旧臣は徳川氏に取りたてられたり、あるいは帰農して名...

指月橋(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

指月橋(しげつきょう→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷2丁目)は、源義経(→源頼朝の異母弟)主従が通ったという伝承をもつ多摩川水系の旧三沢川にかかる橋です。江戸時代後期の天保年間(→1830年~1844年)に編纂された『江戸名所図会』には寿福寺十景の1つとして紹介されています。近くには義経と弁慶が大般若経を奉納したと伝わる仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)があります。江戸時代の天明期(→老中田沼意次の頃)を代表...

二枚橋(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

二枚橋(→神奈川県川崎市麻生区高石3丁目)は、源義経が作り直したという伝承をもつ多摩川水系の五反田川にかかる橋です。川崎市に残る義経伝説をつなげてみると、義経主従は1180(治承4)年9月に藤原秀衡(ふじわらのひでひら)から与えられた軍勢を率いて奥州平泉(→岩手県西磐井郡平泉町)を発ち、鎌倉街道を南下して仙石山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)で戦勝祈願をし、五反田川を越える際に軍勢が通れるように橋を補強(→...

大鋸諏訪神社(神奈川県藤沢市)を訪問しました

大鋸諏訪神社(→神奈川県藤沢市大鋸3丁目)は、藤沢山 無量光院 清浄光寺(時宗総本山→神奈川県藤沢市西富1丁目)を開山した遊行四世呑海(→俣野景平の兄弟)が、鎌倉時代後期の1325(正中2)年秋に尾張国津島より勧請し、藤沢山の守護神として祀った神社です。以来、清浄光寺が別当寺として祭祀を司り、1868(明治元)年の神仏分離令後も祭事などで清浄光寺との繋がりは続いているようです。創建時は清浄光寺の境内にあったようですが、江戸...

清浄光寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました➁

遊行寺(ゆぎょうじ)の名で知られる藤沢山 無量光院 清浄光寺(→神奈川県藤沢市西富1丁目)は鎌倉時代後期の1324(正中元)年に創建された時宗総本山です。境内には松平氏(徳川氏)の始祖とされる得川有親(とくがわありちか)の守り本尊を祀る宇賀神社や、真徳寺・真浄院・長生院(ちょうしょういん)という塔頭寺院(たっちゅうじいん→大寺院にある小寺院)があります。室町時代前期の1438(永享10)年8月~翌年2月の永享の乱において、得川有...

清浄光寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました➀

遊行寺(ゆぎょうじ)の名で知られる藤沢山 無量光院 清浄光寺(しょうじょうこうじ→神奈川県藤沢市西富1丁目)は、鎌倉時代後期の1324(正中元)年に鎌倉郡俣野の領主であった俣野景平(またのかげひら)が開基、時宗(じしゅう)の遊行四世の呑海(どんかい→俣野景平の兄弟)が開山した時宗総本山です。「遊行〇世」とは開祖一遍の教え(→遊行)を相承した、時宗でトップの地位にある高僧を指します。1324(正中元)年の鎌倉幕府は14代執権北条高...

常光寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました

八王山 摂取院 常光寺(→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、戦国時代後期の1572(元亀3)年に本山である天照山 蓮華院 光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)の27代住職明蓮社光誉(西隠)が自身の隠居所として創建した浄土宗寺院です。本尊は阿弥陀三尊立像で、中尊は像高99cm・全高204cmあり、脇侍2体は江戸時代に彫られたものです。中尊は仏師安阿弥の作で源頼朝の持仏と伝わりますが、実際には南北朝時代に彫られたもので鎌倉扇ガ谷にあっ...

永勝寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました

法谷山 瑞祥院 永勝寺(→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、鎌倉時代前期の1232(貞永元)年に浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の真弟(→仏法上の後継者)である誓海が開基となり鎌倉常盤村に創建した常盤道場を前身とする浄土真宗本願寺派(西本願寺派)寺院です。常盤村には当時の執権北条泰時(→3代執権)の異母弟・政村(→のちの7代執権)の別邸(→常盤亭)があり、周辺には多くの寺社が建立されました。1333(元弘3)年5月18日~22日の鎌倉合戦(→鎌倉...

荘厳寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました

白玉山 般若院 荘厳寺(しょうごんじ→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、鎌倉時代初期の1184(寿永4・元暦元)年に僧の覚憲が開山、1235(嘉禎元)年に覚盛が中興した高野山真言宗寺院です。江戸時代には三島山 感応院 瑞光寺(→神奈川県藤沢市大鋸2丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いますが、元文年間(→1736年~1741年)に火災で焼失したため、1747(延享4)年に別当寺として祭祀を司っていた白旗神社(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)の隣に再建...

藤沢御殿の堀跡(神奈川県藤沢市)を訪問しました

藤沢御殿の堀跡(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、現在の藤沢市民病院と藤沢公民館の間にあった藤沢御殿(→徳川将軍家の宿泊所)とその堀跡です。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たした1590(天正18)8月1日以降、家康は領国支配の拠点に、休憩・宿泊所として御殿や御茶屋を設置しました。御殿は、宿場町が整備される以前に江戸へ至る街道沿いの府中・小杉・神奈川・鎌倉・藤沢・中原・大磯・箱根・元箱根に作られました。...

正宗稲荷大明神(神奈川県藤沢市)を訪問しました

正宗稲荷大明神(→神奈川県藤沢市藤沢1丁目)は、隣接する長藤山 妙善寺(→神奈川県藤沢市藤沢1丁目)に稲荷社で、創建は鎌倉時代にまで遡ることができます。平安時代の高僧円仁が802(延暦21)年に彫刻したと伝わる仏像が、鎌倉時代後期に日蓮宗信者となった刀工五郎正宗により鎌倉に持ち込まれ、職業の守護神として崇敬されたと記されます。神仏習合の頃は神(→垂迹=仮の姿)は仏(→本地=本来の姿)と同じものとされていました。これを本...
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