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東林寺を訪問しました

麻生山 東林寺(→神奈川県川崎市麻生区麻生6丁目)は、江戸時代の1681(天和元)年に本山の夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の4代住職が、上麻生村の領主であった三井十左衛門吉直の直轄地に隠居寺として創建したと伝わる曹洞宗寺院です。境内の大いちょうは、川崎市選定の「まちの樹50選」に数えられます。東林寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡上麻生村の条に次のように記さ...

浄慶寺を訪問しました➁

麻生山 寿光院 浄慶寺(→神奈川県川崎市麻生区上麻生6丁目)は、安土桃山時代の1584(天正12)年に北条氏遺臣で徳川氏旗本となった三井左衛門尉(→法名寿光院清誉浄慶居士)が開基し、僧の証蓮社誠誉順阿長応が開山したと伝わる浄土宗寺院です。創建時の山号・院号は滝沢山 春林院であったといいます。境内には神仏習合の名残りで秋葉大権現(秋葉神社)があり、一対の狛犬は徳川将軍家の菩提寺の一つである無量山 小石川伝通院(→東京都文...

常安寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

妙香山 常安寺(→神奈川県川崎市麻生区上麻生7丁目)は、戦国時代にこの地の地侍小嶋佐渡守高治(→法名光照院常安)が開基、妻(→法名彗性院妙香日芳)が日鏡を招いて開山したと伝わる日蓮宗寺院です。寺伝には1515(永正12)年7月の創建で、1544(天文13)年2月に再建したと記されます。1597(慶長2)年に江戸入りを果たした徳川家康から番神堂領6石を安堵されました。江戸時代には本山・末寺の制により長興山 妙本寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁...

月読神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁

月読神社(つきよみじんじゃ→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、戦国時代の1534(天文3)年に麻生郷の地侍小島佐渡守が五穀豊穣を祈願して皇大神宮の別宮(→月読宮)を居所(→亀井城)に勧請したのが始まりと伝わる旧麻生郷の鎮守社です。『神奈川県神社庁史』には江戸時代の1708(宝永5)年に社殿が再建と記されています。明治時代後期の1906(明治39)年に国の一村一社政策を受け、近隣の白山神社(山口谷)・熊野神社(上麻生)・日吉神社(下麻生...

東光院(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

岡上山 東光院 宝積寺(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した奈良時代の高僧)創建の伝承を持つ一方、蚕影社(→現在は川崎市立日本民家園へ移築)や瘡守社(かさもりしゃ)を持ち様々な信仰の側面がみられる真言宗の単立寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、天正年間(→1573年~1592年)の住職が11世というので奈良時代頃の創建であることは確かなようです。江戸時代には真言宗醍醐寺派の大本山であ...

岡上神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁

岡上神社(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、明治時代後期の1909(明治42)年に国の一村一社政策を受けて近隣の諏訪神社・劔神社・日枝神社・宝殿稲荷社・開戸稲荷社を合祀して創建された神社です。神仏習合の頃は、真言宗寺院の岡上山 東光院(→同)が別当寺として祭祀を司りました。『神奈川県神社誌』には江戸時代後期の1850(嘉永3)年に社殿を再建したとあります。〖祭神〗・建御名方命(たけみなかたのみこと)・日本武尊(やまとたけ...

琴平神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました③

武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)の境内社である「福寿稲荷」は、江戸時代後期の1824(文政7)年に嬬恋稲荷総社(→群馬県、関東二十八カ国稲荷総社)から勧請したと伝わります。1846(弘化3)年に社殿を再建した際に「福寿稲荷大明神」と改称し、三座に稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神を祀ったといいます。琴平神社では稲荷社・多賀社・塩釜社の3社をまとめて「お多賀さん」と呼びならわし、「福寿稲荷」と書きあら...

琴平神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁

武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明で『新編武蔵風土記稿』にも記載がありませんが、社伝によると戦国時代の1570(元亀元)年頃には創建されていたといいます。江戸時代初期の王禅寺村は、2代将軍徳川秀忠の正室・崇源院(→お江の方)の化粧料となり、代官として大久保長安や神谷弥五郎らが治め、年貢は酒井讃岐守に納められました。琴平神社が建つ場所は、1711(正徳元)年以前は「伊勢山」と呼...

比川社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

比川社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで神仏習合の頃は第六天社と呼ばれていました。1868(明治元)年神仏分離令を受け比川社と改称され、今日に至っているといいます。境内の石碑には、「當社(→当社)は武蔵国一之宮 埼玉県大宮市 旧官弊社大社氷川神社の御分霊を江戸時代の初期 王禅寺鎮守 産神五社 山王大権現 神明宮 稲荷宮 大六天宮 白山大権現の一社と...

山王社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

山王社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明ですが、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、星宿山 王禅寺の鬼門除けに建立された社(やしろ)と伝わります。「さんのうしゃ」ではなく「さんおうしゃ」と読むようです。1868(明治元)年の神仏分離令以降は日枝神社とも呼ばれました。鳥居の近くには江戸時代の石造の馬頭観音や石仏群があり、神仏習合の頃の名残りが見られます。〖祭神〗・大山昨神(おおやまくいのかみ)...

稲荷森稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

稲荷森稲荷社(とうかもりいなりしゃ→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、入口谷戸の鎮守であったと伝わります。川崎市によると江戸時代初期に久保倉氏(→現在の王禅寺町内会の会長)の先祖が村の安穏と五穀豊穣を祈るため京都伏見稲荷大社(→京都府京都市伏見区深草)から勧請したといいます。稲荷森稲荷社の近くに久保倉姓の住居がありましたので関係があるのでしょうか。神奈川県神社庁の管轄外の社(や...

神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

神明社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、安土桃山時代に小田原北条氏の遺臣吉垣三十郎が創建したと伝わる旧王禅寺村鎮守五社(→神明社・白山社・稲荷森稲荷社・山王社・第六天社(比川社)の1つで、いずれも別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。1559(永禄2)年作成の『小田原衆所領役帳』によると、小田原北条氏の家臣布施蔵人佑(ふせくろうどのすけ)が82貫500文の知行で麻生郷の領主となりましたが、1590(天正18)年7月...

早野子ノ神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

早野子ノ神社(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、江戸時代の1703(元禄16)年9月26日に創建された神社で、別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。社殿は1734(享保19)年5月と1928(昭和3)年に再建されたようです。1921(大正10)年に国の一村一社政策を受け近くの稲荷社・浅間社が合祀されました。1928(昭和3)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうじんしゃ)となり、勅令に基づいて神奈川県知事から例祭などの神...

王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、平安時代の921(延喜21)年に高野山の無空上人によって創建されたと伝わる、鎌倉北条氏庶流の金沢(かねさわ)北条氏と縁が深い真言宗豊山派寺院で、最盛期には禅宗・律宗・真言宗の兼学道場を兼ねて「(関)東の高野山」と呼ばれ、多くの末寺がありました。現在は宅地開発された小山の中でひっそりとたたずむ王禅寺ですが、広域に「王禅寺」の名がつく地名が残るなど、影響力の...

籠口ノ池(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました。

籠口ノ池(ろうぐちのいけ→神奈川県川崎市麻生区下麻生2丁目)は、「白龍伝説」と「白蛇伝説」を伝える溜池です。(1)討幕軍を呪った白龍伝説鎌倉時代末期の1333(元弘3)年5月15日~16日に、新田義貞・足利義詮(よしあきら→足利尊氏の嫡子)らの討幕軍は、分倍河原の戦い・関戸の戦い(→ともに東京都府中市)で北条泰家(→得宗北条高時の同母弟)が率いる幕府軍を破り、さらに本隊が鎌倉街道上ノ道を進み、平尾(→東京都稲城市)、金程(→神奈...
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