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浄徳寺(東京都町田市)を訪問しました

真宗三輪山 浄徳寺(→東京都町田市三輪町)は、現住職の高橋章香氏が1999(平成11)年に創建された鶴見川に面した静かな住宅地に位置する一軒家のようなたたずまいの浄土真宗仏光寺派寺院です。「お寺は心の休憩所」をキャッチフレーズとし、檀家制度や寄附や奉仕などの制約がない、今の時代に対応した寺院であることを公表しています。本山は仏光派本山の仏光寺(→京都府京都市下京区新開町)で、仏光寺は鎌倉時代前期の1212(建暦2)年に...

三輪熊野神社(東京都町田市)を訪問しました

三輪熊野神社(→東京都町田市三輪)は、『町田市史』によると平安時代の877(元慶元)年に大和国城上郡三輪の里より勧請したとの伝承があり、江戸時代中期の1767(明和4)年10月の銘がある古い三本立の神幣の台座に、「別当高蔵寺住法印亮恰」と書かれているといい、江戸時代後期の「嘉永七甲寅年八月」の銘の石像三尊仏が(神仏習合の頃に)祀られていたとあります。江戸時代には境内地を含め見星山 三輪院 高蔵寺(→東京都町田市三輪町)...

廣慶寺(東京都町田市)を訪問しました

三輪山 廣慶寺(→東京都町田市三輪町)は、戦国時代に本山であった青龍山 円福寺(→神奈川県川崎市高津区下作延7丁目)の2代住職の最安が創建したと伝わる曹洞宗の単立寺院です。『町田市史』によると創建時は田園の向谷戸にあったものを1804(文化4)年に現在地に移築したとあります。明治時代初期には薬師如来(→清浄院薬師像)が本尊でしたが、現在は「世継観音」と呼ばれる観音像に改められたようです。島慶寺は、江戸時代後期の1830(...

高蔵寺(東京都町田市)を訪問しました

見星山 三輪院 高蔵寺(→東京都町田市三輪町)は、「従来当時御朱印奉還之理由書」によると南北朝時代の1362(康安2)年4月に、鎌倉公方足利氏の祈願所として権大僧都法印定有(ごんのだいそうずほういんじょうゆう)よって開山された真言宗豊山派の寺院です。江戸時代には幕府より寺領11石5斗を拝領し、岡上山 東光院 宝積寺(→神奈川県川崎市麻生区岡上)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。また、近くの熊野神社と椙山神社の別当...

高蔵寺地蔵堂(東京都町田市)を訪問しました

高蔵寺地蔵堂(→東京都町田市三輪町)は、江戸時代中期の1733(享保18)年にこの地の領主であった旗本村上左衛門によって創建された善徳寺という真言宗豊山派寺院でしたが、1868(明治元)年に廃寺となり、現在は見星山 三輪院 高蔵寺(→東京都町田市三輪町)に合寺されました。ホームページでは「鶴川地蔵尊」の名で紹介されています。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡柚木領三輪村の条に記載は...

御座松塚跡(東京都稲城市)を訪問しました

御座松塚跡(→東京都稲城市平尾3丁目)には、1873(明治6)年に枯死するまで「御座の松」と呼ばれた大松が植えられていたといいます。ここは分倍河原に通じる鎌倉街道で、1333(元弘3)年5月15~16日の分倍河原・関戸合戦で新田義貞率いる討幕軍に敗れた幕府軍は、鎌倉への敗走の途上、ここ平尾でも討幕軍の追撃を受けました。隣接する麻生郷は鎌倉北条氏の一門(→金沢北条氏)の所領であったため、平尾郷民も幕府よりの者が多かったらしく...

新橋駅SL広場(東京都港区)を訪問しました

新橋駅SL広場(→東京都港区新橋2丁目)には、1872(明治5)年9月12日(新暦10月14日)に新橋駅(帝都)~横浜駅(開港地)に初めて鉄道が開通したことにちなみ、1972(昭和47)年に鉄道発足100周年を記念して当時の国鉄から港区に無償譲渡されたSL(→C11‐292)が展示されています。場所は現在のJR新橋駅の西口広場(SL広場)の公道上になります。正式開通に先立ち1872(明治5)年5月に品川横浜(→現在の桜木町駅)間で開通し、所要時間は35分と記録さ...

新宿諏訪神社(東京都新宿区)を訪問しました

新宿諏訪神社(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、『東京都神社名鑑』には立派な由緒が「創作」されていますが、創建年代等の詳細は不明ながら、江戸時代初期には社殿ができあがっていたようです。江戸時代には諏訪村・戸塚村・大久保百人町・西大久保村などの総鎮守となり、隣接する真言宗豊山派寺院の龍池山 上珠院 玄国寺が別当寺として祭祀を司りどりました。1882(明治15)年に明治天皇の行幸があったようで、境内には戦時中の1943...

玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました

龍池山 上珠院 玄国寺(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に創建されたものの、その後衰退し、延宝年間(→1673年~1681年)に僧の盛源によって中興された真言宗豊山派寺院です。当初は明王山 聖無動院 宝仙寺(→東京都中野区中央2丁目)の末寺だったようですが、中興後は神齢山 悉地院 護国寺(→東京都文京区大塚5丁目)の末寺に属したと記されます。また、江戸時代には隣接する新宿諏訪神社の別当寺として...

住吉小野神社(東京都府中市)を訪問しました

小野神社(→東京都府中市住吉町3丁目)は、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんじょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に記載された武蔵国多磨郡八座のうちの1つと比定される小野神社です。なお、多摩市内にも式内社に比定される有力な小野神社(→東京都多摩市一ノ宮1丁目)があり、二社は多摩川を挟んで1.6㎞ほどの距離にあるため伝承も混同しているようです。江戸時代には徳左衛...

永山諏訪神社(東京都多摩市)を訪問しました

永山諏訪神社(→東京都多摩市諏訪1丁目)は、室町時代に武蔵国守護代で由井城主の大石信濃守顕重(おおいし しなののかみ あきしげ)が諏訪大社(→長野県諏訪市・茅野市・下諏訪町)を勧請し、大風(→台風)除けの守護神として崇敬されたと伝わります。永山駅周辺は由井領(→国衆大石氏の領国)に含まれ、戦国時代の1559(永禄2)年11月には、北条氏照(→北条氏康三男)が養子縁組の形で大石氏の家督を譲られ、氏照の奉行人として付けられた家老...

大福寺(東京都多摩市)を訪問しました

貝取山 大福寺(→東京都多摩市貝取1丁目)は、江戸時代前期に僧の起厳伝秀によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。起厳伝秀は1640(寛永17)年7月6日に死去しているので創建はそれ以前となります。江戸時代には本山・末寺の制により、吉祥山 寿徳寺(→東京都多摩市桜ヶ丘4丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。時期は不明ですが境内の地蔵堂に対して幕府より堂領5石5斗の寺領を拝領しています。地蔵堂には行基(→東大寺の廬...

東福寺(東京都多摩市)を訪問しました

青木山 東福寺(→東京都多摩市落合2丁目)は、江戸時代前期の元和年間(→1615年~1624年)にもと永福寺の住職で白山社(→現在の落合白山神社)の創建にも名を連ねる僧の円能が創建したと伝わる真言宗智山派寺院です。創建当初は上落合村の「堀合堰」という場所にあり、文政年間(→1818年~1831年)までに、現在地に移されたようです。江戸時代には、本山・末寺の制により高幡山 明王院 金剛寺(いわゆる高幡不動尊→東京都日野市高幡)の末寺...

落合白山神社(東京都多摩市)を訪問しました

落合白山神社(→東京都多摩市落合2丁目)は、創建年代は不詳ですが、江戸時代前期の1618(元和4)年11月11日に、甲斐武田氏の旧臣で徳川氏の旗本になった八王子代官小宮山助為と、もと永福寺の住職で青木山 東福寺(→東京都多摩市落合2丁目)を開山した円能が、能登国の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ→石川県白山市三宮町)を勧請して東福寺領に再興したと伝わります。1648(慶安元)年7月19日に、幕府(→3代将軍徳川家光の頃)より社領10...

乞田八幡神社(東京都多摩市)を訪問しました

乞田八幡神社(→東京都多摩市豊ヶ丘1丁目)は、室町時代(→戦国期)の1490(延徳2)年9月に創建され、江戸時代前期の1668(天和2)年に乞田村と貝取村の鎮守社として社殿を創建したと伝わります。1668(天和2)年の棟札控には「上乞田・下乞田・貝取・宇竜(→瓜生)」の4村とあり、それぞれ再建に携わった村民の名が書かれています。『多摩市史』には1726(享保11)年に神祇道宗家の吉田家より正一位の神階が贈られたと記されます。江戸時代には...
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