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能見城(山梨県韮崎市)を訪問しました

能見城(のうけんじょう)は、山梨県韮崎市穴山町のJR中央本線穴山駅の正面にある小さな城です。戦国時代、武田信玄の時代に築かれ守屋新兵衛尉定知が城将を務めたことが記録に残ります。江戸時代に編纂された『甲斐国志』によると、1581(天正9)年に武田勝頼公が新府城(→山梨県韮崎市中田町)を築いた際に、北方外郭として大規模に改築されたようです。土塁・空堀・馬出などの遺構がきれいに保存されています。ただ、私は新府城ですら...

白山城(山梨県韮崎市)を訪問しました

白山城(→山梨県韮崎市)は武田八幡宮の境内の裏山にあります。鎌倉時代初期の御家人で甲斐武田氏の祖・武田信義が本拠地を守るための要塞として築城したと伝わりますが、遺構からはとても鎌倉時代のものとは思えません。戦国時代の1581(天正9)年に武田勝頼公が新府城(→山梨県韮崎市)を築いた際に南西の外郭として白山城の遺構に手直しを加えたほか、1582(天正10)年6月2日の本能寺の変で織田信長が横死した後、徳川家康と北条氏直が...

小さなアクアリウム

鴨居校では熱帯魚用の水槽が6つ、海水魚用の水槽が2つの合計8つの水槽があります。グッピー、ネオンテトラ、アフリカンランプアイ、コリドラスといった癒し系の熱帯魚や、カクレクマノミといった定番の海水魚を飼育しています。熱帯魚好きな生徒の指南を受けて日々進化中です。その生徒は自主的に「いきものがかり」になると宣言していました。ありがとうございます!〖グッピー用の水槽〗...

佐江戸杉山神社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

通称「佐江戸杉山神社」(神奈川県横浜市都筑区佐江戸)と呼ばれる杉山神社は、市内各所にある杉山神社と同様に創建年代などは不明なのですが、中世にはこの地にあり、近世江戸時代の1613(慶長18)年に佐江戸村内三給の鎮守として社殿などが再興されたといいます。境内には稲荷神社もあります。江戸時代は凶作や飢饉に苦しんだ時代です。五穀豊穣は住民たちの切望だったのでしょう。〖祭神〗・五十猛命(いたけるのみこと)※『日本書...

北条氏政・北条氏照の墓所(神奈川県小田原市)を訪問しました

神奈川県小田原市栄町には、豊臣秀吉による小田原合戦の責任をとらされて切腹させられた北条氏政(うじまさ)・北条氏照(うじてる→八王子城主)兄弟の墓所があります。墓所に臨済宗大徳寺派 伝心庵(でんしんあん)が作られましたが、同庵はのちに中町に移転したため、墓所は長らく放置されていました。江戸時代になり、1632(寛永9)年に下野真岡藩(栃木県)から幕府老中・稲葉正勝(まさかつ)が8万5千石で小田原藩に入封すると、その稲葉...

小机城(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

小机城(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、武蔵国橘樹郡郡小机郷にあった中世の平山城で、現在は「小机城址市民の森」として遺構が整備され、毎年4月に行われる「小机城址まつり」では地元の城郷中学校吹奏楽部の演奏などもあり、大変な賑わいを見せます。小机城は室町時代中期におきた永享の乱(1438年~1439年→鎌倉公方足利持氏と6代将軍足利義教の抗争)の頃に武蔵国守護を兼ねた関東管領上杉氏によって築かれたと伝わりますが、実...

大熊郷総鎮守 杉山神社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

大熊郷総鎮守 杉山神社(神奈川県横浜市都筑区大熊町)は、創建年代は不明とのことですが、古くから地域の鎮守として人々の信仰を集めていたようです。〖祭神〗・天照大神(あまてらすおおみかみ)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)・面足命(おもだるのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)〖末社〗・八坂神社・稲荷...

無量寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

歸命山 無量寺(神奈川県横浜市都筑区佐江戸)は、高野山真言宗寺院で別名を安國寺といいます。「歸」は「帰」の旧字体です。創建年代は不詳とのことですが、七堂伽藍を供えた大伽藍だった時期もありましたが、太平洋戦争の空襲で灰燼に帰してしまったようです。江戸時代の1649(慶安2)年には3代将軍徳川家光から約6石の寺領を安堵されたといいます。...

榎下城址(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

榎下城(えのしたじょう)は別名久保城ともいい、城址は真言宗寺院の久保山 舊城寺(旧城寺)(神奈川県横浜市緑区三保町)の境内にあります。榎下城は、室町時代の永享年間(1429年~1441年)に宅間上杉氏の上杉憲清(のりきよ)が築城したと伝わります。現在も土塁などの遺構が残されています。なお、舊城寺(きゅうじょうじ)の境内にある薬師堂には寅年ごとに開帳する薬師如来像が安置されています。...

雲松院(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

臥龍山 雲松院 神太寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は小机城址から徒歩10分ほどの場所にある曹洞宗寺院で、小田原北条氏の2代当主北条氏綱によって小机城代(→城主代理)として派遣された笠原信為が、亡き先君伊勢宗瑞(→いわゆる北条早雲)と父・笠原信隆の菩提を弔うために建立しました。創建年代は1525(大永5)年と推定されています。以後、代々の笠原一族の菩提寺となり境内には歴代墓所もあります。ただし、現在は笠原氏との檀家...

芍薬塚(山梨県笛吹市)をお参りしました

芍薬塚(→山梨県笛吹市)は、武田勝頼公の次男(→周哲大童子)の墓と伝わる供養塔です。戦国時代の1582(天正10)年3月の武田氏滅亡の際、勝頼公は家族や家臣を連れて本拠の新府城(→山梨県韮崎市)を自落させて、郡内国衆小山田信茂(のぶしげ)の勧めに応じて小山田領の郡内岩殿城(→山梨県大月市)を目指しました。その逃避行の最中に数え年で2歳の勝頼公次男が発熱し、同行が難しくなったため、やむを得ず近くの鎮目に住む武田家臣の渡辺嘉...
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