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鎌倉の紫陽花の名所

6月といえば紫陽花(あじさい)、と子どもの頃からそんな印象をもっています。紫陽花の学名はhydrangea(ハイドランジア)といい、「水の容器」という意味を持っています。梅雨の季節に水を湛えて咲く花の名としてぴったりです。教室のある千葉市内にも昭和の森や泉自然公園など、紫陽花の名所はありますが、神奈川県民の私としては、やはり鎌倉の紫陽花を推したいです。6月の鎌倉は、お正月と並んで混雑する時期ではありますが、どちら...

館山城(千葉県館山市)を訪問しました

館山城(→千葉県館山市館山)は館山湾に面した城山と呼ばれる標高65ⅿの独立丘を中心とした城郭です。安土桃山時代後期の1590(天正18)年8月、関白・豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼした小田原合戦に際して里見義康(よしやす)も豊臣方として参陣しましたが、里見氏の参戦は豊臣軍が小田原城を包囲している最中であり、房総半島の北条方国衆の諸城は徳川家康を中心とする別動隊によって接収されていきました。里見義康は、古河公方の分流...

大百池公園(千葉県千葉市緑区)を訪問しました

大百池公園(千葉県千葉市緑区)は、一年を通して野鳥が訪れるのでバードウォッチングをする人も多い無料の公園です。「大百池(おおどいけ)」と読みます。「おゆみの」の名が古文書に初めて登場するのは、古墳時代前期の4世紀のことで、この時期に大陸から日本に移り住んだ渡来人の一派が、東国を開拓するために東日本各地に送られました。現在の生実町(千葉市中央区)からおゆみ野中央(同緑区)にかけても渡来人が住み着き、その中に...

飯野陣屋濠跡(千葉県富津市)を訪問しました

飯野陣屋は飯野藩1万7千石の陣屋(→政庁)で、江戸時代の1648(慶安元)年に初代藩主保科正貞(ほしなまささだ)が築きました。飯野藩は譜代大名です。同年、正貞は江戸幕府の命で大坂城番を務めています。陣屋の周囲には土塁や濠を巡らせ、内邸(本丸・二の丸・三の丸など)面積は12万8千㎡、外邸面積は4万8千㎡という石高の割には立派な陣屋だったようです。濠は内裏塚古墳群の三条塚古墳を取り囲んでおり、西側の濠は同古墳の周溝を利...

割見塚古墳(千葉県富津市)を訪問しました

割見塚古墳(千葉県富津市)は古墳時代後期の7世紀前半に造られた方墳です。〖形状・規模〗・1辺: 約40ⅿ・高さ: 3.5ⅿ・二重周溝: 全長約107ⅿ〖埋葬施設〗・横穴式石室: 全長約11.7ⅿ・前庭部を含めると全長18.75ⅿ〖副葬品〗※盗掘あり・武具、馬具、金銅製刀子装具、銀製刀子装具、須恵器、土師器...

三条塚古墳(千葉県富津市)を訪問しました

三条塚古墳(千葉県富津市)は、古墳時代後期の6世紀末に造られた全長122ⅿの前方後円墳で、内裏塚古墳群に属します。〖形状・規模〗・後円部径: 57ⅿ・後円部高: 6ⅿ・前方部幅: 72ⅿ・盾形二重周溝: 全長193ⅿ〖埴輪〗なし〖埋葬施設〗横穴式石室〖副葬品〗・銅鏡、装身具、武器、金銅製馬具、人骨3体分...

弁天山古墳・小久保陣屋(千葉県富津市)を訪問しました

弁天山古墳(千葉県富津市)は、富津岬の南の東京湾を望む台地上にある全長86ⅿの前方後円墳です。ただし、古墳は1868(慶応4/明治元)年に小久保藩が藩校を建設するために墳麓を削って以来、墳丘は崩れていきました。ところが、1927(昭和2)年4月には小学校を建設するため、後円部の墳頂にあった厳島神社の一部を崩した際に石室の一部が発見されたため1929(昭和4)年に国の史跡に指定され、1934(昭和9)年から発掘調査が行われました。・...

珠名冢碑(千葉県富津市)を訪問しました

珠名娘子(たまなのいらつめ)は、奈良時代に編纂された『万葉集』に登場する女性です。高橋虫麻呂(→真間の手児奈の歌を詠んだ人)によると、珠名娘子は上総国(現の千葉県中部)の小糸川流域に住み、豊かな胸とくびれた腰をもつ晴れやかな女性」であったため「蝶嬴娘子(すがるおとめ)」と呼ばれていたといいます。そして、花が咲くような笑顔を見た道ですれ違った男性は、みな本来行く予定の場所には行かず、珠名娘子の家の前までやっ...

上野塚古墳(千葉県富津市)を訪問しました

上野(うわの)塚古墳(千葉県富津市)は、古墳時代の5世紀末葉に造られた前方後円墳で、内裏塚古墳群に属します。〖形状・規模〗・墳丘長:44.5ⅿ・後円部径: 32ⅿ・後円部高: 5ⅿ・前方部幅: 25ⅿ・馬蹄形(ばていけい)周溝: 全長55ⅿ〖埴輪〗なし〖埋葬施設〗不明(未発掘)〖副葬品〗周溝内: 須恵器杯蓋(つきふた)1、土師器杯(つき)1...

稲荷山古墳・九条塚古墳(千葉県富津市)を訪問しました

稲荷山古墳(千葉県富津市)は、古墳時代の6世紀後葉に造られた前方後円墳で、内裏塚古墳群に属します。〖形状・規模〗・墳丘長: 106ⅿ・後円部径: 47ⅿ・後円部高: 6ⅿ・前方部幅: 73ⅿ ・盾形二重周溝: 全長202ⅿ〖埴輪〗・円筒埴輪列(墳丘裾)・形象埴輪(家、翳(さしば)、人物、動物)〖埋葬施設〗 横穴式石室(入口部分のみ発掘)〖副葬品〗 未発掘のため不明*****************************九条塚古...

西原古墳(千葉県富津市)を訪れました

西原古墳(千葉県富津市)は古墳時代の6世紀中葉~後葉に造られた前方後円墳で、内裏塚古墳群に属します。現在は石室周辺部分のみが残存しています。〖形状・規模〗・墳丘長: 60ⅿ・後円部径: 30ⅿ・前方部幅: 36ⅿ・後円部高: 不明・盾形周溝: 全長70~75ⅿ〖埴輪〗なし〖埋葬施設〗・横穴式石室: 自然石乱積無袖式(しぜんせきらんせきづみむそでしき) 全長12.5ⅿ、幅1.7ⅿ~1.8ⅿ、高さ1.5ⅿ〖副葬品〗 直刀5、鉄鏃、金銅製馬具(鏡板1、...

内裏塚古墳(千葉県富津市)を訪問しました

内裏塚古墳(千葉県富津市)は、古墳時代中期に造られた前方後円墳です。南関東最大の前方後円墳として2002(平成14)年に国指定史跡とされました。〖形状・規模〗・墳丘長: 144ⅿ・後円部径: 80ⅿ・後円部高: 13ⅿ・前方部幅: 90ⅿ・盾形周溝: 全長185ⅿ 〖埴輪〗・円筒埴輪列(墳丘上段・中段・下段・周溝外周)・形象埴輪(人物・家・きぬがさ)〖埋葬施設〗・竪穴式石室2基・甲石室(東石室) 長さ5.7ⅿ・乙石室(西石室) 長さ7.5ⅿ〖副葬品...
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