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武田信玄像(山梨県甲府市・甲州市)について

【甲府駅前の武田信玄像】昭和時代後期の1969(昭和44)年4月12日の武田信玄の命日にあわせて「武田信玄公銅像建立奉賛会」の寄付によって甲府駅前に設置された銅像です。武田信玄の銅像としては一番有名ではないでしょうか。1985(昭和60)年に甲府駅ビル西側の現在地に移転されたそうです。銅像の高さは3.1ⅿ、重さ5t、台座はみかげ石で作られています。【塩山駅前の武田信玄像】塩山駅前にある武田信玄像は昭和時代末期の1988(昭和6...

新府城(山梨県韮崎市)を訪問しました➁

前回に続き新府城(→山梨県韮崎市中田町)についてのご紹介です。今回は新府城の発掘調査の結果、整備・復元された東出構(でがまえ)・西出構・乾門桝形虎口(いぬいもんますがたこぐち)・木橋の橋台(きばしきょうだい)・乾門西の門・井戸・新府城西側の七里岩・帯曲輪(おびくるわ)・など、新府城の防御史跡についてご紹介いたします。【全体の説明パネル】【東・西出構】新府城の北側にある東西2つの堀に突き出た形の施設です。攻め込...

新府城(山梨県韮崎市)を訪問しました➀

新府城(→山梨県韮崎市中田町)は、戦国時代の1581(天正9)年に甲斐武田氏が最後に築いた武田城郭の集大成ともいえる平山城です。西側は七里岩の急崖で釜無川からの標高は100ⅿほどあり、東側の塩川、南側の河岸段丘が防御力を高めています。南西には白山城、北には能見城・西城などの北方外郭の遺構が見てとれます。武田勝頼公は、未完成のまま自落(→自ら火を放って退去)させましたが、勝頼公にもっと時間が与えられ新府城が完成して...

武田八幡宮(山梨県韮崎市)を訪問しました

甲斐武田氏の発祥地として武田八幡宮(山梨県韮崎市)を1年ぶりに訪問しました。武田八幡宮は甲斐武田氏の氏神として崇敬を集めた神社です。創建については諸説ありますが、平安時代の822(弘仁13)年に嵯峨天皇の勅命によって、日本武尊(やまとたけるのみこと)の弟の武田王(たけだのきみ)を祀るために創建したと伝わります。平安時代後期の1140(保延6)年に源信義がこの地で元服して武田太郎信義と名乗って甲斐武田氏が発祥し、武田八...

御岳金櫻神社(山梨県甲府市)を訪問しました

御岳金櫻(かなざくら)神社は、山梨県甲府市御岳町にある神社です。創建年代は不詳ながら、古墳時代中期の雄略天皇(5世紀)の時代に金峰山(きんぷさん→長野県佐久市と山梨県甲府市の県境)に山岳信仰の本宮として創建されたと伝わります。確実な史料としては、飛鳥時代後期の674(天武天皇2)年に、大和国金峰山から蔵王権現と金精大明神が勧請され、それぞれ本宮と中宮に合祀されたという記録があります。〖祭神〗・少彦名命(すくなひ...

極楽寺(東京都八王子市)を訪問しました

寶樹山滝山 極楽寺(東京都八王子市大横町)は、正式には「寶樹山 正受院 極楽寺」という浄土宗寺院です。「寶」は「宝」の旧字体です。戦国時代の1504(永正元)年、当時の滝山城主大石定重(さだしげ→山内上杉氏の家臣)が創建しましたが、1587(天正15)年頃に滝山城主北条氏照(うじてる→北条氏康三男)が居城を八王子城に移した際に、極楽寺も八王子城下に移りました。しかし、1590(天正18)年に豊臣秀吉による小田原合戦がおこると城主...

5月29日は横浜大空襲の日です

横浜大空襲は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年5月29日の昼間に、米軍によって横浜市の中心地域に対して行われた無差別爆撃(→戦争犯罪)です。太平洋戦争も末期になると米軍は航空機による戦略爆撃の対象を、それまでの軍事施設から一般市民が暮らす都市や農村部にも拡大させ、日本各地で多くの人々が空襲の犠牲となりました。日本本土が初めて空襲を受けたのは、まだ日本軍が東南アジアや中国大陸で戦局を有利に進めていた1942(昭...

信松院(東京都八王子市)を訪問しました

金龍山 信松院(東京都八王子市台町)は、八王子七福神の一つである布袋像を祀る曹洞宗寺院です。創建は戦国時代が終焉を迎えた1590(天正18)年で、開基は武田信玄の六女の信松尼(しんしょうに→松姫)で、開山は卜山舜越が行いました。松姫は1561(永禄4)年に甲斐国の戦国大名武田信玄の五女(→母は側室の油川夫人)として生まれました。1567(永禄10)年11月、松姫7歳の時に織田信長の嫡男織田信忠(11歳)と婚約しましたが、1572(元亀2)年...

典厩寺(長野県長野市)を訪問しました

「松操山(しょうぞうざん) 典厩寺(てんきゅうじ)」は、長野県長野市篠ノ井杵淵にある薬師如来を本尊とする曹洞宗寺院です。創建年代は不詳ながら戦国時代には「瑠璃光山 鶴巣寺(かくそうじ)」という禅刹で、周辺は第4次川中島合戦の舞台となった八幡原があります。戦国時代の1561(永禄4)年に行われた武田信玄と上杉謙信による第4次川中島合戦で、信玄の弟の武田典厩信繁(のぶしげ)が八幡原で討死したため、合戦後、信玄は弟・信繁...

吉屋信子記念館(神奈川県鎌倉市)をを訪問しました➁

鎌倉市の社会教育施設である吉屋信子記念館は「自分の得たものは社会に還元し、住居は記念館のような形で残してほしい」という吉屋信子の遺志により、土地・建物などが鎌倉市に寄贈され、1974(昭和49)年に開館しました。平成時代後期の2017(平成29)年6月28日に、吉屋信子記念館の主屋・門・塀が国の有形文化財に登録されました。最寄り駅は江ノ島電鉄(江ノ電)の由比ヶ浜駅です。鎌倉駅から乗って2駅目で、乗車時間は3分ほどで由比...

吉屋信子記念館(神奈川県鎌倉市)を訪問しました➀

吉屋信子記念館(神奈川県鎌倉市長谷1丁目)は、大正時代に連載した『花物語』が女学生の間で大ヒットし、少女小説という新しいジャンルを確立した吉屋信子(1896年~1973年)の遺志により、土地・建物などが鎌倉市に寄贈され、昭和時代後期の1974(昭和49)年に開館した鎌倉市の社会教育施設です。吉屋信子といえば少女小説のイメージが強いと思いますが、晩年は『徳川の夫人たち』『女人平家』のような長編歴史小説も手掛けています。...

オンラインでも学校別定期テスト対策を実施中!

羅針盤ゼミナールでは、現在オンライン授業の日本史専門講座「北条塾」においても、学年によっては学校別の定期テスト対策を行っております。評定対策、指定校推薦対策、内部進学対策など、進路に応じて定期テストの意味合いは変わってきます。定期テストで写真や史料などに目を通しておくことは、その後の入試対策(過去問対策など)でも必ず生きてきます。羅針盤ゼミナールではオンライ授業であってもPDFファイルの送受信や、LIN...

荏田下宿の庚申塔(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

荏田宿(→神奈川県横浜市青葉区)は、西に向かって下宿・中宿・上宿とに分かれていました。幕末の1863(文久3)年には往還に35軒の宿と店があったといいます。江戸時代、荏田(えだ)は徳川将軍家の菩提寺の一つである増上寺(→東京都港区芝公園)の寺領で、矢倉沢往還の宿場として江戸時代初期の頃から栄えていました。「常夜塔」や「庚申塔」が今でも残っています。江戸時代後期の三河国田原藩(→愛知県東部の渥美半島にあった譜代大名三...

荏田宿常夜燈(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

荏田宿(→神奈川県横浜市青葉区)は、西に向かって下宿・中宿・上宿とに分かれていました。幕末の1863(文久3)年には往還に35軒の宿と店があったといいます。江戸時代、荏田(えだ)は徳川将軍家の菩提寺の一つである増上寺(→東京都港区芝公園)の寺領で、矢倉沢往還の宿場として江戸時代初期の頃から栄えていました。「常夜燈」や「庚申塔」が今でも残っています。江戸時代後期の三河国田原藩(→愛知県東部の渥美半島にあった譜代大名三...

鎌倉文学館(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

鎌倉文学館(神奈川県鎌倉市長谷1丁目)は、「文学都市かまくら」ゆかりの文学者の直筆原稿・手紙・愛用品などの資料を収集保存し、展示している博物館で、昭和時代末期の1985(昭和60)年に開館しました。常設展示の「鎌倉文士たち」では、川端康成・大佛次郎・里見弴・小林秀雄など鎌倉ペンクラブを結成して活躍した文学者や、夏目漱石・与謝野晶子・芥川龍之介・有島武郎・中原中也・泉鏡花・高浜虚子・国木田独歩・武者小路実篤・...
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