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駒飼宿(→山梨県甲州市)を訪問しました

駒飼宿(→山梨県甲州市大和町)は、江戸時代に宿場として栄えましたが、戦国時代の1582(天正10)年3月4日夜明けとともに、武田勝頼公一行は柏尾大善寺(→山梨県甲州市勝沼町)を出発し、笹子峠の手前の駒飼宿の石見某(なにがし)のもとに到着しました。現在は国道20号線となっている大善寺から駒飼宿までの甲州街道沿いや田野古戦場には、後世の人によって創作された「武田不動尊」「日向の宮での軍旗掲揚」「日影の宮での軍旗降下」「鞍...

帯坂(東京都千代田区)を訪問しました

帯坂(おびざか)は東京都千代田九段南4丁目にある、東京都内に数ある坂道シリーズの一つです。平成時代中頃までは怪談『番町皿屋敷』の伝承地として東京都の公式案内板にも書かれていましたが、現在は案内板が刷新され明確にそれを否定していて面白いと思いますが、これも「創作」であるお岩さんを登場させているので再考が必要と思われます。そもそもの大前提として鶴屋南北の『東海道四谷怪談』も『皿屋敷』も、すべて江戸時代中...

老馬鍛冶山不動尊(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

老馬鍛冶山不動尊(ろうばかじやまふどうそん)は、神奈川県横浜市都筑区中川にある旧大山街道沿いにある不動尊です。本堂には大日聖不動明王が祀られています。境内には稲荷社があり、神仏習合のなごりを残しています。本堂に続く石段の脇には「霊泉の滝」と呼ばれる滝つぼがあることから、江戸時代には老馬鍛冶山不動尊は「滝不動尊」とも呼ばれていたようです。とくに江戸時代中期の老中田沼意次(たぬまおきつぐ)政権下の1782(天...

武田神社(山梨県甲府市)を訪問しました

武田神社(→山梨県甲府市武古府中町)は、1919(大正8)年に武田信虎・武田信玄・武田勝頼公と甲斐武田氏3代の政庁兼居館であった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に建てられた武田信玄を祭神とする神社です。拝殿の奥に宝物殿があり、武田二十四将図、復元された孫子の旗(→風林火山の旗)、復元された楯無の鎧などが展示されていますが、その多くが江戸時代に作成されたものや復元されたものでした。「お屋形さまの散歩道」を散策する...

稲荷大明神(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

稲荷大明神(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は、御嶽神社に隣接する神社です。稲荷大明神なので稲荷神が祭神だと思われますが、本殿や社務所はなく祠(ほこら)が2つあるだけです。稲荷神を象徴する狐の像もありません。鳥居は比較的新しいのですが、横浜市立嶮山(けんざん)小学校に通じる道路沿いには「天下泰平」「國土安全」「享和三年(→1803年)」と三猿(→見ざる・言わざる・聞かざる)が刻まれた江戸時代の庚申塔と地蔵尊が並んで...

御嶽神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

御嶽神社(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「御嶽社」として記載があり、江戸時代より黒須田村の鎮守社として崇敬を集めていました。現在もすすき野・もみの木台・荏子田・黒須田・あざみ野の人たちを中心に正月は初詣の参拝者で賑わっています。戊辰戦争が始まる1868(慶応4)年1月に社殿を再建したようですが老朽化のため、1975(昭和50)年11月に現在の社殿...

大善寺(山梨県甲州市)を訪問しました

柏尾山 大善寺(→山梨県甲州市勝沼町)は「ぶどう寺」としても有名な真言宗豊山派の寺院です。奈良時代の718(養老2)年に東大寺の大仏造立に貢献した行基が霊夢(→古代や中世の人が信じた夢のお告げ)により感得したという右手に葡萄(ぶどう)を持ち左手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊像を刻み安置したのが創建の由来とされています。奈良時代には聖武天皇から鎮護国家の勅号と大善寺の寺号をもらい、52堂3000坊を数える...

菅田天神社(山梨県甲州市)を訪問しました

菅田(かんだ)天神社は山梨県甲州市塩山にある神社で、創建は平安時代前期の842(承和9)年に、嵯峨天皇の勅命により甲斐国司の藤原伊太勢雄が創建したと伝わります。もともと素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていたようですが、平安時代中期の1004(寛弘元)年に都で猛威を振るった「怨霊」とされる菅原道真を祀ったため、これが天神社の由来となっています。鎌倉時代以降は甲斐国守護となった甲斐武田氏の保護を受け、戦国時代には武...

雲峰寺(山梨県甲州市)を訪問しました

裂石山 雲峰寺(さけいしざん うんぽうじ)は、山梨県甲州市塩山上萩原にある臨済宗妙心寺派の禅刹で、東大寺の大仏造立に貢献した行基が奈良時代中期の745(天平17)年に開基したと伝わります。行基は法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶ですが室町時代以前の雲峰寺は天台宗寺院で、戦国時代に恵林寺の末寺となり臨済宗に改宗したようです。本尊は十一面観音像で、戦国時代には甲斐武田氏の祈願所の一つとされました。戦国大名は武運長久や...

法泉寺(山梨県甲府市)を訪問しました

金剛福聚山 法泉寺(→山梨県甲府市和田町)は臨済宗妙心寺派の禅刹で、鎌倉時代末期の元徳年間(1329年~1331年)に甲斐守護武田信武が開基し、月舟周勲が開山しました。鎌倉時代を通じて甲斐武田氏は鎌倉幕府の最高実力者である北条得宗家(→北条氏の家督)と親しい関係を築いており、鎌倉幕府滅亡後も北条一族や関係者を匿ったりしていました。それゆえ建武の新政では後醍醐天皇に冷遇され、1335(建武2)年7月に信濃で挙兵した北条時行(...

中世の武家文書の様式について

中世に新しく歴史の表舞台に登場してきた武家も、「下文(くだしぶみ)」や「下知状(げちじょう)」などの貴族たちが用いてきた官文書由来の文書を使用しましたが、その一方で、書状(しょじょう→手紙)に由来する「御教書(みきょうじょ)」などの書札様(しょさつよう)文書も公文書として用いました。ただ、用途には違いがあります。「御教書(みきょうじょ)」とは三位以上の公卿(→貴族のトップクラス)の意志をその家の家司(けいじ→家来)...

大井窪八幡神社(山梨県山梨市)を訪問しました

大井窪八幡神社(→山梨県山梨市)は、平安時代前期の859(貞観元)年に清和天皇の勅願により宇佐神宮(→大分県宇佐市)の八幡三神を勧請して創建されたと伝わります。当初は笛吹川の中島の大井俣にありましたが、後に現在地に移ったようです。本殿の祭神は下記の三神ですが、摂社の若宮八幡宮には仁徳天皇が、3つある末社にはそれぞれ武内宿禰(→武内神社の祭神)、藤大臣連保(→高良神社の祭神)、宗像三神(→宗像神社の祭神)がまつられてい...

劔神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

劔(つるぎ)神社は神奈川県横浜市青葉区荏田町にある旧荏田村の総鎮守です。「劔」は「剣」の旧字体です。創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』荏田村の条(→ページ)には「劔社」と書かれていて、「村の中央榎木谷にあり、劔明神と号す。当所の惣鎮守なり」とありますので、江戸時代には村民の崇敬を集めた総鎮守として存在していたことが分かります。〖祭神〗・素戔嗚命(すさのおのみこと)当時の荏...

恵林寺(山梨県甲州市)を訪問しました

乾徳山 恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山にある釈迦如来像を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅刹で、甲斐国の臨済宗の中心的な寺院です。境内には武田信玄の墓や柳沢吉保(よしやす→江戸幕府5代将軍徳川綱吉の頃の甲府藩主)の墓があります。恵林寺の創建は鎌倉時代末期の1330(元徳2)年で、北条高時や足利尊氏など鎌倉時代末期から南北朝時代前期の最高権力者の帰依を受けた夢窓疎石(むそうそせき)が開基しました。戦国時代になると...

1868(明治元)年の信濃国の藩別石高と藩兵の考察

大名とは?藩とは?江戸時代に、徳川将軍から1万石以上の領地を賜った(安堵された)武士を大名といい、大名の領地とその支配機構を藩といいます。俗に「徳川300藩」などと呼ばれますが、15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(→政権を朝廷に返上)を行った1867(慶応3)年10月14日時点に存在した藩の総数は270藩です。また、その270藩も江戸幕府の創設期から幕末まで同じ大名家で存続していた藩はあまり多くありません。初代将軍徳川家...
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