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東郷神社(東京都渋谷区)を訪問しました

東郷神社(→東京都渋谷区神宮前1丁目)は、1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を全滅させ、日露戦争の勝利を決定づけた東郷平八郎を祭神として祀る神社です。1934(昭和9)年5月30日に東郷平八郎が86歳で死去すると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創立を求める要望書と献金が相次いだといいます。その中に旧岡山藩主池田氏の子孫の池田宣政(のぶまさ)がおり、池田侯爵家が所有す...

稲荷森稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

稲荷森稲荷社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、入口谷戸の鎮守であったと伝わります。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡王禅寺村の条(→項目)には「王禅寺村 小名入口 南の方を云 稲荷社 除地、三畝、村の中にあり、南向、まへ(前)に小なる鳥居をたつ、村持」としか書かれていませんが、川崎市によりますと当時は「稲荷社」と称し、江戸時代初期に久保倉氏(...

琴平神社福寿稲荷(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

本日は武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)の境内社である福寿稲荷についてご紹介いたします。由緒によると、江戸時代後期の1824(文政7)年に関東二十八カ国稲荷総社にあたる群馬県の嬬恋稲荷総社から勧請して五穀豊穣と子孫繁栄を願ったものと伝わります。その後、1846(弘化3)年の再建で「福寿稲荷大明神」と改称し、三座に稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神を祀ったといいます。琴平神社によりますと、稲荷社・多...

琴平神社儀式殿・摂社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

本日も久しぶりに訪問した武州柿生 琴平神社についてのご紹介です。本日は儀式殿と摂社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺5丁目)についてです。赤い大鳥居があるほうが儀式殿・社務所・参集殿・摂社があり、昨日ご紹介した本殿・拝殿とは「琴平神社」交差点を挟んで対角線上にあります。儀式殿の朱塗りの大鳥居は幅14ⅿ、高さ13ⅿという麻生区内の神社の中でもかなり大きなものです。鳥居に掲げられている神額は香川県金刀比羅宮の宮司の...

琴平神社本殿・拝殿(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

久しぶりに武州柿生 琴平神社本殿(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5丁目)を訪問しました。赤い大鳥居があるほうは儀式殿・社務所・摂社などがある場所で、「琴平神社」交差点を挟んだ石の鳥居と長い石段を登りきった高台にあるほうが本殿と拝殿になります。江戸時代後期の1826(文政9)年に建立された奥院にあたる本殿と拝殿を含む御社殿は、2007(平成19)年に放火によって全焼しました。本殿の天井には渡辺崋山(わたなべかざん)...

香林寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

南嶺山 香林寺(→神奈川県川崎市麻生区細山3丁目)は、鎌倉五山第1位の臨済宗建長寺派に属する禅刹で、本尊は十一面観音菩薩像で「身代わり観音」とも呼ばれています。寺紋は建長寺と同様に鎌倉北条氏(→建長寺を開基)の家紋・三鱗紋(みつうろこもん)を使用しています。香林寺は、戦国時代の1525(大永5)年に仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区)の住職・南樹法泉が開山し、慶長年間(1596年~1615年)に山号を南嶺山、寺号を香林...

細山神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

細山神明社(→神奈川県川崎市麻生区細山2丁目)は、「神明社」の名前の通り天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀る神社です。拝殿や本殿のある丘の麓(ふもと)には江戸時代以前の神仏習合時代の名残りを思わせる地蔵尊がいくつも建っています。しかし、それら地蔵尊の多くは首が修復されており、明治時代初期に行われた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく→仏像・寺院の破壊)の痕跡が見てとれます。社伝によると細山神明社は鎌倉時代...

旧乃木邸(東京都港区)を訪問しました

旧乃木邸(→東京都港区赤坂8丁目)は、日清戦争(1894年~1895年)や日露戦争(1904年~1905年)を戦い、1912(大正元)年9月13日の明治天皇の大葬の日に自刃(→殉死)した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)夫妻の邸宅です。乃木坂(のぎざか)に面した乃木公園の中にあり、昨日ご紹介した夫妻を祭神とする乃木神社に隣接しています。乃木希典の略歴は昨日ご紹介しましたので、本日は施設のみのご紹介とさせていただきます。乃木邸は室内には入れ...

稲荷神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

稲荷神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)にある小さな祠で、旧王禅寺村の鎮守五社の1つである山王社の石段の中間地点の左手にあります。稲荷神社専用の石段もあります。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡王禅寺村の条には「末社稲荷社。本社に並びてあり、小祠なり」と書かれています。江戸時代には山王社の末社として並んで建っていたようですが、現在は山王社の石段の中間地点あたりに朱塗りの...

乃木神社(東京都港区)を訪問しました

乃木神社(→東京都港区赤坂8丁目)は、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)と妻・乃木静子(のぎしずこ)を祭神として祀る神社で、大正時代末期の1923(大正12)年11月1日に創建されました。神社に隣接する乃木公園には旧乃木邸は乃木希典夫妻が明治天皇の大葬の日に殉死する当日まで暮らしていた邸宅や厩舎・菜園などがあります。旧乃木邸については後日ご紹介いたします。〖祭神〗・乃木希典(のぎまれすけ)・乃木静子(のぎしず...

伊勢社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

伊勢社(→神奈川県横浜市青葉区新石川)にある神社で、創建年代は不詳ながら江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡石川村の条には「除地一段、村の東にあり、南に向(むか)ふ」と記されており、旧石川村の鎮守八社として古くから信仰を集めていたようです。大日孁貴(おおひるめのむち)、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀っています。神仏習合の世界では天照大神は本地(ほんち→本...

日本水準原点(東京都千代田区)を訪問しました

日本水準原点(→東京都千代田区永田町)は、水準点(→正確な高さを求める測量を行うため国土地理院が作った高さの基準となる点)の高さを定めるため、明治時代中期の1891(明治24)年に設置されたもので、日本標準原点標庫というコンクリート製の建物の中にあります。離島を除く全国の主要な道路沿いに設置されている水準点の高さは、この日本水準点に基づいて水準測量によって決められ、この水準点がその地域において行われる高さの測量...

日比谷公園(東京都千代田区)を訪問しました

日比谷公園(→東京都千代田区日比谷公園)は、東京メトロ日比谷駅から徒歩3分ほどの場所にある東京都公園協会が運営する歴史ある公園です。東京ドーム4個分にあたる16.2ヘクタールの敷地には、江戸時代に長州藩毛利氏・肥前藩鍋島氏・盛岡藩南部氏・狭山藩北条氏などの大名屋敷(上屋敷)があり、明治時代にそれらが撤去されて陸軍練兵場になりました。そして明治時代後期の1903(明治36)年に日本初の洋風公園として日比谷公園が開園し...

潮音寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

萬松山 潮音寺(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に鎌倉五山第1位の建長寺89世・日峯法朝が開基した臨済宗建長寺派寺院がもとになっていまます。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、戦国時代に廃寺同然となり、菅(すげ)村の臨済宗建長寺派寺院寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷)の末寺になった後、武田氏滅亡後に徳川家康の家臣(御家人)となり高石の地...

比川社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

比川社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで谷戸(やと)の鎮守となっています。江戸時代までは第六天社と呼ばれていましたが、明治時代になり比川社と改称され今日に至っています。境内の石碑には、「當社(→当社)は武蔵国一之宮 埼玉県大宮市 旧官弊社大社氷川神社の御分霊を江戸時代の初期 王禅寺鎮守 産神五社 山王大権現 神明宮 稲荷宮 大六天宮 白山大権現の一社として勧請した 江戸期に...
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