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寿福寺観音堂(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

寿福寺観音堂(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東3丁目)は、昨日ご紹介しました綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)が管理する観音堂で、円通閣とも呼ばれ茅ヶ崎城址(→小田原北条氏の出城)から徒歩2分ほどの場所にあります。奈良時代に東大寺の廬舎那大仏造立に尽力した行基が長門国志賀の荒磯(→山口県下関市)で手に入れた高さ約204cmの正観音像(聖観音像とも)を、勧進(→大仏造立の資金集め)のため関東を廻っていた時に...

寿福寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)は、鎌倉時代前期に清和源氏の多田行綱の子の智空が長福寺として開基した真言宗寺院として始まり、鎌倉時代後期には都筑郡王禅村などを領有していた金沢(かねさわ)流北条貞顕(さだあき→15代執権)の帰依を受けました。室町時代に衰退したものの智空から7代目の空誓が江戸時代前期に浄土宗本願寺派として寺を中興し、その後、江戸時代中期の1716(享保元)年に8代将軍徳川吉宗の嫡子...

最乗寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

勝田山 最乗寺(→神奈川県横浜市都筑区勝田町)は、創建年代は不明ですが江戸時代前期に僧の教龍が創建した浄土真宗本願寺派(西本願寺)寺院と伝わります。本尊は阿弥陀如来立像で、江戸時代中期の1795(寛政7)年に建立された本堂が現在でも使用されています。浄土真宗寺院の内陣は極楽浄土を金色で表しています。最乗寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡勝田村の条には次のように記されています...

荏田真福寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

養老山 真福寺(→神奈川県横浜市青葉区荏田町)は、千手観音菩薩像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不明ですが、江戸時代中期の1789(寛政元)年には現在の荏田宿自治会館の場所にその存在が記されています。大正時代に堂宇が老朽化したため千手観音菩薩像と木像釈迦如来立像(→国の重要文化財)などを現在地に移し、「養老山 真福寺」として山門や本堂などが整備されました。本尊の千手観音菩薩像は平安時代末期に彫られ...

千手院(東京都町田市)を訪問しました

岩子山 千手院(→東京都町田市小野路町)は、鎌倉時代初期に小野路に館を構えた小山田有重の2男小山田重義が創建したと伝わる真言宗豊山派寺院です。創建年代は不詳ですが、もとは観音堂で寺号はありません。なお、小山田有重の3男・小山田(稲毛)重成は北条時政の娘婿となり弟の小山田(榛谷)重朝とともに1205(元久2)年6月22日に畠山重忠・重保父子を謀殺する手引きをしましたが、のちに三浦義村らにより殺害されています。大河ドラマ...

安全寺(東京都町田市)を訪問しました

大蔵山 安全寺(→東京都町田市大蔵町)は、創設年代は不詳ですが室町時代中期の1428(正長元)年に武蔵国都築郡小机領片平村の夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の住職・孤岩伊俊(こがんいしゅん)が再興した曹洞宗寺院と伝わります。江戸時代まではその夏蒐山 修廣寺の末寺で幕府から寺領8石を拝領しました。以前の本堂は江戸時代中期の1773(安永2)年に建てられたものでしたが、現在の本堂は1989(平成元)年に新しく建てか...

大蔵春日神社(東京都町田市)を訪問しました

大蔵春日神社(→東京都町田市大蔵町)は、江戸時代前期の1707(宝永4)年9月に別当寺(→神仏習合の時代に神社の祭祀を司った寺)である関本山 蔵福寺の法印頼盛によって創建された春日大社(→奈良県奈良市春日野町)の分霊を祀る神社です。宝永4年は犬公方(いぬくぼう)こと5代将軍徳川綱吉(つなよし)による政治が行われていた時代で、江戸幕府から寺領8石が蔵福寺に与えられ、そのうち3石が大蔵春日神社の社領に充てられたようです。...

慶性寺(東京都町田市)を訪問しました

滝本山 不動院 慶性寺(→東京都町田市大蔵町)は、室町時代中期の1463(寛正4)年に朝賢が開基、玄旨が開山した大日如来を本尊とする新義真言宗の単立寺院です。江戸時代までは都築郡岡上村の新義真言宗寺院 岡上山 東光院 宝積寺(寺領15石→神奈川県川崎市麻生区岡上)の末寺で、滝本山の山号は寺背に「不動の滝」があり、そこに不動堂を安置したことに由来します。新義真言宗は平安時代後期の僧・覚鑁(かくばん→興教大師)を祖とす...

西勝寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

影顕山 西勝寺(→神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目)は西本願寺に属する浄土真宗本願寺派寺院です。創建は江戸時代中期に僧の順応(誕生年不明~1739年)によって開山されました。しかし、江戸時代後期の1845(弘化2)年にさる旗本が現在の美しが丘西(→神奈川県横浜市青葉区)で催した花火が西勝寺の屋根に落ちて全焼し創建以来の伽藍が失われてしまったようです。その旗本は切腹の用意をしていましたが、住職が思い止まらせて再建費用と...

朝光寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

白玉山 士峰院 朝光寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、戦国時代中期に上原勘解由左衛門(うえはら かげゆざえもん 誕生年不詳~1548年)が開基、僧の碧峯東全(誕生年不詳~1546年)が開山した曹洞宗寺院です。院号の士峰院は開基した上原勘解由左衛門の妻の法名「士峰院盛山浄栄」から採られたようです。禅宗寺院では普遍的な釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀っています。江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)...

東福寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺で江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領9石5斗の寺領を拝領した真言宗豊山派寺院です。王禅寺と同じく「三つ葉葵」を寺紋とし、境内には弘法大師ではなく新義真言宗の始祖・興教大師(こうぎょうだいし)の坐像があります。江戸時代までは先日ご紹介した市ヶ尾杉山神社(→当時は杉山社)の別当寺...

修廣寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)は皇国地誌を参考にした川崎市発行の『麻生の神社・仏閣』によると、室町時代前期の1443(嘉吉3)年に僧の恵俊(えしゅん)が片平村の巽(→東南)の夏蒐丘に夏蒐山 台廣寺を創建したことから始まる曹洞宗寺院です。戦国時代中期に高峯山 天寧寺(→東京都青梅市根ヶ布1丁目)の住職・松潤玄秀が現在地に移し、寺号を修廣寺と改めたといいます。修廣寺の歴代住職は川崎市麻生区や東京都町田市...

市ヶ尾杉山神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

市ヶ尾杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代初期の創建された五十猛命(いそのたけるのみこと)を祭神として祀る旧市ヶ尾村の総鎮守で、社殿の隣には境内社として稲荷社が祀られています。江戸時代までは杉山社と呼ばれ、近くにある真言宗豊山派寺院の初割山 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。東福寺については後日ご紹介いたします。〖杉山神社(市ヶ尾)〗祭神: 五十猛...

光明院(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

稲荷山 光明院(→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、もとは星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であった、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。室町時代後期に僧の源空(誕生年不明~1566年)によって開山され、江戸時代に旗本の河野通良(誕生年不明~1689年)によって中興開基されたと伝わります。江戸時代の度重なる火災によって創建時の堂宇や文書が焼失し詳細は不明です。現在の山門(仁王門)・本堂・...

善正寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

妙永山 善正寺(→神奈川県川崎市麻生区片平5丁目)は、戦国時代前期に小田原北条氏に仕えた大熊修理亮(しゅりのすけ)の一族といわれる僧の善正日中(生誕年不明~1505年)が大熊氏の屋敷跡に開基、善覚院日衆(生誕年不明~1520年)が開山したと伝わる日蓮宗寺院です。1559(永禄2)年に作成された小田原北条氏の軍役帳である『小田原衆所領役帳』で確認してみますと、片平郷は他国衆とされた大熊修理亮が28貫900文の知行(→北条氏が安堵し...
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