fc2ブログ

末長杉山神社(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

末長杉山神社(→神奈川県川崎市高津区末長2丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代には隣接する天台宗寺院・松林山 安楽院 明鏡寺(→神奈川県川崎市高津区末長)が別当寺として祭祀を司っていました。傾斜地にあるため末長杉山神社の境内から明鏡寺の本殿や三重塔を眼下に収めることができます。神仏習合の頃には約30cmの木の立像(→仏像)が神体だったようです。現在の社殿は2007(平成19)年に改築され、同年11月29日に入魂祭なる...

龍台寺(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

命府山 理生院 龍台寺(→神奈川県川崎市高津区久本2丁目)は、もともとの創建年代は不詳ですが、江戸時代前期に僧の良弁が中興・開基し、1649(慶安2年→3代将軍徳川家光の頃)に龍台院 理生寺から今の名前に改めたと伝わる天台宗寺院です。江戸時代の本山・末寺の制により龍台寺は浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺とされました。ご住職の話によると、龍台寺は明治時代初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動や...

大蓮寺(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

光明山 金台院 大蓮寺(→神奈川県川崎市高津区久本2丁目)は、創建の詳細は不詳ですが、住職の話によるともとは大日如来を祀る天台宗寺院とのことで、江戸時代前期の1625(寛永2)年11月10日に僧の聞龍が開山した際に浄土宗に改宗したといいます。本山・末寺の制により江戸時代には宝林山 運昌院 泉沢寺(→神奈川県川崎市中原区小田中7丁目)の末寺として檀家の宗旨人別改帳(→戸籍原本・租税台帳)などを作成し、幕藩体制の一翼を担いまし...

久本神社(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

久本神社(→神奈川県川崎市高津区久本1丁目)は、明治時代前期の1873(明治6)年に旧久本村の鎮守として尊崇を集めていた八幡社・杉山社上社・杉山社下社を神明社に合祀して創建した神社です。合祀前の各社の創建年代は不詳ですが、杉山下社と神明社は江戸時代までは命府山 理生院 龍台寺(→神奈川県川崎市高津区久本2丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。もとの神明社は裏山の頂にあったようですが合祀の際に麓に移築したといい...

久本医薬門公園(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

久本医薬門公園(→神奈川県川崎市高津区久本1丁目)は、1889(明治22)年の町村制公布により誕生した橘樹(たちばな)郡高津村の初代村長となった医師・岡重孝の邸宅があった場所です。岡家は江戸時代後期から8代にわたり医師の家系で、公園名の由来となる「医薬門」と「蔵」と「日本庭園」の一部が公園として残されており、母屋があった頃には黒澤明監督の映画『赤ひげ』の療養所(→小石川養生所)のモデルになったとも言われています。医...

円福寺・松柏林天満宮(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

青龍山 円福寺(→神奈川県川崎市高津区下作延7丁目)は、戦国時代前期に小田原北条氏の2代北条氏綱の家臣となった増田駿河守満栄が開基、僧の雪点が開山した曹洞宗寺院です。山号は、創建以来彗日山→蒼龍山→青龍山と変遷したようです。増田駿河守満栄は、北条氏の軍役・課税台帳である『小田原衆所領役帳』によると下作延(しもさくのべ→川崎市高津区)で70貫の知行を受けているので、合戦の際には本人+9人の足軽を率いて戦場に赴くこ...

真宗寺(神奈川県川崎市麻生区・高津区)を訪問しました

正覚山 真宗寺(→神奈川県川崎市高津区下作延2丁目)は、昭和時代後期の1980(昭和55)年に創建された浄土真宗本願寺派寺院です。市内の2300墓地を備える真宗寺川崎霊園(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)を管理運営する寺院としても知られ、溝の口本堂・川崎霊園ともに金色の大きな阿弥陀仏が建っています。真宗寺川崎霊園の参道には地蔵を中心とする無数の石仏群が連なっており、江戸時代中期の年号が彫られたものや、幕末期の庚申講が奉...

寺家熊野神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

寺家熊野神社(→神奈川県横浜市青葉区寺家町)は、創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に編纂された『日本総風土記』には奈良時代前期の713(和銅6)年に撰上された『武蔵国風土記』(→現存せず)のことが写されてあり、「九尺二間の社(→熊野社)が寺家村熊野谷にあり」と記されています。熊野社が鎌倉時代にはあったことが分かります。『神奈川県神社誌』には、熊野社は熊野本宮(→和歌山県田辺市本宮町本宮)を勧請し、幕末期の1867(慶応3)年...

甲神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

甲神社(かぶとじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区鴨志田町)は、創建年代の詳細は不明ですが、境内からは種々の石器が出土しており、小田原北条氏の治世下の戦国時代に創建されたと伝わります。神体が石剣に似ているため祭神を日本武尊(やまとたけるのみこと)にして甲神社(かぶとじんじゃ)と名付けられたと伝わります。〖祭神〗・日本武尊(やまとたけるのみこと)『小田原衆所領役帳』によると、戦国時代の寺家・鴨志田郷は小机衆の大...

南慶院(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

北斗山 南慶院(→神奈川県横浜市青葉区鴨志田町)は、創建年代は不詳ですが鎌倉時代に臨済宗円覚寺派の大本山である瑞鹿山 円覚寺(→神奈川県鎌倉市山ノ内、鎌倉五山第二位)の住職大川を招いて開山したと伝わる臨済宗円覚寺派寺院です。寺紋には円覚寺派に見られる三鱗紋(みつうろこもん→北条氏の家紋)が使われており、江戸時代の本山・末寺の制では法縁から瑞鹿山 円覚寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。ただ、瑞鹿山 円覚...

たちばな台子ノ神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

たちばな台子ノ神社(ねのじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区たちばな台2丁目)は、創建年代は不詳ですが、江戸時代には成合村(→現在の成合町)の鎮守として記されており、明治時代後期の1908(明治41)年3月に国の一村一社政策を受けて近隣の浅間社を合祀して社殿を改築しました。さらに昭和時代後期の1976(昭和51)年5月に出雲大社(→島根県出雲市大社町杵築東)より祭神を勧請して社殿を新築し、成合町の産土神として地元の崇敬を集めていま...

薬王寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、創建年代の詳細は不詳ですが、江戸時代前期に僧の俊誉が中興開基したと記されていますので、創建はそれ以前であったことが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により「東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺として幕藩体制の一翼を担った真言宗豊山派寺院です。王禅寺文書には有名寺院の三ヶ寺に数えられるほど立派な寺で...

みたけ台杉山神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

みたけ台杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、創建年代は不詳ですが社伝では戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建されたと伝わります。他にも鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が崇敬したという伝承も残りますが、これは後世の創作と思われます。江戸時代にはこの地の地頭(→領主)の渡辺氏が年初穂米1俵を寄進し、造営・修理などのたびに特別扶持米を奉納しています。また、医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺、医薬神社の...

祥泉院(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

長谷山 祥泉院(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、戦国時代前期に玉雄山 宝泉寺(→神奈川県藤沢市遠藤)の2代住職・碧岑東全が開山した曹洞宗寺院で、江戸時代には本山・末寺の制により玉雄山 宝泉寺の末寺となりました。祥泉院の開基は、寺伝によると鎌倉公方足利氏の家臣で中鉄村(なかくろがねむら)の領主村田太郎左衛門祥本と伝わります。ただ、碧岑東全と村田太郎左衛門祥本が死去した1548(天文17)年の頃、鎌倉公方は下総古河城...

医薬神社(神奈川県横浜市青葉区柿の木台)を訪問しました

医薬神社(→神奈川県横浜市青葉区柿の木台)は、安土桃山時代の天正年間(→1573年~1592年)に真言宗関東三ヶ寺の1つに数えられた医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺)の境内社として創建されたのが興りと伝わります。医王山の「医」と薬師院の「薬」をとって「医薬神社」と名付けられたといいます。江戸時代前期の1649(慶安2)年には幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領5石を拝領しました。東光寺は江戸時代の本山・末寺の制により「東...
img { pointer-events: none; } img { -webkit-touch-callout:none; -webkit-user-select:none; -moz-touch-callout:none; -moz-user-select:none; touch-callout:none; user-select:none; }