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西明寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は創建の詳細は不詳で様々な俗説が伝わりますが、川崎市教育委員会の調査によると室町時代中期の嘉吉(→1441年~1444年)・文安(→1444年~1449年)年間に川崎市宮前区有馬から現在地に移築されたという真言宗智山派寺院です。寺伝では鎌倉幕府5代執権北条時頼の創建といいますが、真偽の程は定かではありません。ただし、有馬郷は鎌倉時代には鎌倉北条氏の荘園が置かれ、...

泉澤寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

宝林山 運昌院 泉澤寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目)は、戦国時代前期の1491(延徳3)年に世田谷城主吉良頼高(きらよりたか)が世田谷領烏山(→東京都世田谷区千歳台、旧廻沢町)に開基した自身の菩提寺が前身の浄土宗寺院です。開山は僧の好善と記されます。世田谷吉良氏は武蔵守護扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の有力国衆でしたが、1546(天文15)年の河越合戦で扇谷上杉氏が北条氏康に滅ぼされると北条氏に従属し、北条氏...

成就院(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

恵日山 成就院(→神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町1丁目)は創建の詳細は不明ですが、江戸時代前期に僧の尊秀が創建した真言宗智山派寺院です。尊秀は江戸時代前期の1662(寛文2)年に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。創建時の本尊は大日如来でしたが、現在は阿弥陀如来となっています。江戸時代には本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼...

高願寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

覚王山 高願寺(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、南北朝時代中期に南朝方の新田・北条軍と北朝方の足利軍との間で鎌倉争奪戦(→武蔵野合戦)がおこり、市内各所でも戦闘が行われました。これらの戦いで死亡した人々を弔うために真言宗寺院の草庵(→後の高元寺)が建てられました。開基・開山の詳細は残されていません。1352(正平7)年に南朝方の新田義興(→新田義貞の次男)・北条時行(→北条高時の次男)らが南朝の征夷大将軍宗良親王(→...

上小田中神明神社(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

上小田中神明神社(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は創建の詳細は不明ですが、神奈川県教育委員会の調査によると江戸時代前期の元禄年間(1688年~1704年)から宝永年間(1704年~1711年)に創建されたと言われています。現在の社殿は明治時代前期の1877(明治10)年に造営、1904(明治37)年に銅板葺屋根へ改修されたもので、神奈川県の有形文化財に登録されています。石造鳥居は、太平洋戦争開戦の前年にあたる1940(昭和15)年に建て...

長福寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

瑠璃光山 薬王院 長福寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は大日如来を本尊とする真言宗智山派寺院です。創建の詳細は不詳ですが、過去帳(→故人の俗名・戒名・死亡年月日などを記した帳簿)に戦国時代中期の1554(天文23)年7月18日に死去した良僅という僧侶の名が記されているため、戦国時代には長福寺、もしくは前身となる寺院が建立されていたことが分かります。1554(天文23)年頃のこの辺りは小田原北条氏(→当主は3代北条氏康)...

長津田宿常夜灯‐上宿(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

長津田宿常夜灯(上宿)は、大石神社(→神奈川県横浜市緑区長津田町)の参道にある、江戸時代後期の1843(天保13)年に秋葉山講中が建立した常夜灯で、高さは240cmあります。長津田宿は江戸時代に江戸城赤坂門から9里(→約36km)ほどの地点にあった宿場町で、大山阿夫利神社へと続く矢倉沢往還(→大山街道とも)沿いにありました。江戸時代後期にはお陰参り(→伊勢神宮への集団参拝)や大山詣(おおやまもうで→大山阿夫利神社への集団参拝)で街...

大石神社(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

大石神社(→神奈川県横浜市緑区長津田町)は創建年代の詳細は不明ですが、人体ほどの石を神体として在原業平(ありわらのなりひら)を祭神として武蔵国と相模国の境界にありました。その後、村民どうしの境界争いの末、現在地に移されたと記されています。神仏習合の頃は「大石権現社」と称していました。在原業平は皇族から臣籍降下した平安時代前期の貴族で、『伊勢物語』の主人公ともいわれています。また、業平は平安時代前期の905...

牛頭天王社(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

牛頭天王社(ごずてんのうしゃ→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、長津田村が小田原北条氏の領国であった頃、この地の領主であった引田氏が祇園社(現在の京都八坂神社→京都府京都市東山区祇園町北側)を勧請し、牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりです。最初は現在の王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)辺りにあったようですが、江戸時代中期の1796(寛政8)年に現在地に移されたようです。北条氏の課役賦課台帳である『小...

福泉寺(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

薬王山 医王院 福泉寺(→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、寺伝によると室町時代中期の1492(明応元)年3月15日に僧の尊祐が開基した小さな寺院が前身となります。尊祐は熊野山 観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)を開基したことで以前ご紹介した僧侶です。この小さな寺院は戦国時代に荒廃したようですが、安土桃山時代後期に小田原北条氏の旧臣で北条氏滅亡後に徳川氏の旗本となり長津田村で1500石の知行を与えられた岡野房恒が...

王子神社(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)は、江戸時代にこの地を治めていた旗本岡本房恒が勧請したと伝わり、神仏習合の頃は「王子権現社」と称していました。岡野房恒は昨日ご紹介した慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)を開基した人物でもあります。祭神の速玉男命(はやたまのをのみこと)は熊野権現とも呼ばれているので、熊野信仰の影響が窺えます。岡野房房は、王子権現社の祭祀を行う別当寺として高野山真言宗...

大林寺(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました

慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)は、安土桃山時代末期に東福山 清源院(→神奈川県厚木市三田)の5代住職麟哲が開山、徳川家臣の岡野房恒(ふさつね)が開基した曹洞宗寺院です。詳しい創建年月日は不明ですが、麟哲は1608(慶長13)年に死去しており、寛政年間(江戸時代中期→1789年~1801年)の開山二百年忌に梵鐘が作られたと記されているため、創建は1589(天正17)年~1601(慶長6)年であることが分かります。大林寺を開基...

弘法松公園(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

弘法松公園(→神奈川県川崎市麻生区百合丘2丁目)は、平安時代前期にこの地を訪れた弘法大師(→真言宗の開祖空海)が、100の谷があれば真言宗寺院を建立しようとしたが、99に止(とど)まったため建断念し、代わりに丘陵の尾根に松を植樹したという伝承をもつ「弘法松」があった場所です。弘法大師(空海)が東国教化と称して門弟5名を伴い関東地方で布教を行ったのは平安時代前期の820(弘仁11)年と記録にあります。なので、弘法大師が松を...

弁慶鍋ころがし(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

川崎市内には源義経(→源頼朝の異母弟)にまつわる史跡が数多く残されていますが、「弁慶の鍋ころがし」(→神奈川県川崎市麻生区百合丘3丁目)として知られる高台もその1つで、現在は「王禅寺見晴し公園」として整備されています。平安時代末期の1180(治承4)年10月21日に源義経は黄瀬川宿(→静岡県駿東郡清水町八幡)で源頼朝と涙の対面を果たし、呉座勇一氏はその際に義経は当時男子のいなかった頼朝の養子となったと指摘しています。奥...

ガルパン博覧会に行きました

2022(令和4)年12月18日 13:00入場池袋・サンシャインシティで行われているガルパン10周年記念の「10th ANNIVERSARY ガールズ&パンツァー博覧会 ~これまでと、これから~」を見てきました。音声ガイドつきのメインの原画展のほか、大洗女子学園校内をモチーフにした展示空間、主人公・西住みほをはじめとする大洗女子学園の各戦車道チームのコーナーはどれもこれも期待通りで、壁の装飾も学校内をイメージしたものとなっており、...
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