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東慶寺(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

松岡山 東慶寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)は、正式には「東慶総持禅寺」という臨済宗円覚寺派の禅刹です。開基は北条時宗の子の北条貞時(→鎌倉幕府9代執権)、開山は北条時宗の妻の覚山尼で、北条時宗が34歳で亡くなった翌年、1285(弘安8)年に建立されました。東慶寺は、もとは本山を持たない独立した尼寺で、鎌倉尼寺(あまでら)五山第2位に列せられていました。

戦国時代の終焉を告げる1615(慶長20)年5月の大坂夏の陣豊臣秀頼(ひでより→秀頼の子)が滅亡すると、翌1616(元和2)年に数え年で8歳の娘が東慶寺の住職として入山し、出家して天秀尼(てんしゅうに)となり、そのまま同寺で亡くなりました。境内には彼女の墓もあります。また、江戸時代には女人救済の縁切寺としても有名でした。江戸幕府公認の縁切寺は、この東慶寺と満徳寺(群馬県太田市)の2つだけです。

境内には様々な花が咲いていて、訪れる参詣者の心を癒してくれます。
開基された1285(弘安8)年は、鎌倉幕府の大規模な政変である「霜月騒動」がおきるなど、鎌倉市中宇が動揺した年でもあります。霜月騒動については当塾のお勉強ブログ(「子孫が語る鎌倉北條氏の真実」)にも書きましたので、興味がある方はお読みください。
↓↓霜月騒動と平禅門の乱の相違点

【東慶寺】
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