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珠名冢碑(千葉県富津市)を訪問しました

珠名娘子(たまなのいらつめ)は、奈良時代に編纂された『万葉集』に登場する女性です。高橋虫麻呂(→真間の手児奈の歌を詠んだ人)によると、珠名娘子は上総国(現の千葉県中部)の小糸川流域に住み、豊かな胸とくびれた腰をもつ晴れやかな女性」であったため「蝶嬴娘子(すがるおとめ)」と呼ばれていたといいます。そして、花が咲くような笑顔を見た道ですれ違った男性は、みな本来行く予定の場所には行かず、珠名娘子の家の前までやってきたといいます。さらに珠名の隣の家の男は自分の妻と別れて珠名に夢中になったのだとか。今ならストーカーですが、『万葉集』の世界ではそれなりにある現象です。
珠名娘子は、男たちがみな自分の虜(とりこ)になるのが面白かったのか、例え夜中であっても身だしなみも気にせず、男たちに寄り添って戯れたのだといいます。

〖高橋虫麻呂の和歌〗(『万葉集』巻9)
しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓(あずさゆみ) 周淮(すえ→小糸川流域)の珠名は 胸別けの 広き我妹(わがせ) 腰細の 蝶嬴娘子(すがるおとめ)の その姿の きらきらしきに 花のごと 笑み立てれば 玉桙(たまほこ)の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻(おのづま)離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば うちしなひ 寄りてぞ妹(いも)は たはれてありける

反歌(『万葉集』巻9)
金門にし 人の来立てば 夜中にも 身はたな知らず 出てぞ逢ひける

地元の伝承では内裏塚古墳(千葉県富津市)が珠名娘子の墓だといい、江戸時代に飯野神社境内に移築され、現在墳丘部に「珠名冢碑」が残されています。にわかには信じられませんが、どうなのでしょうね。

珠名娘子碑珠名娘子碑


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