王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、平安時代の921(延喜21)年に高野山の無空上人によって創建されたと伝わる、鎌倉北条氏庶流の金沢(かねさわ)北条氏と縁が深い真言宗豊山派寺院で、最盛期には禅宗・律宗・真言宗の兼学道場を兼ねて「(関)東の高野山」と呼ばれ、多くの末寺がありました。現在は宅地開発された小山の中でひっそりとたたずむ王禅寺ですが、広域に「王禅寺」の名がつく地名が残るなど、影響力の大きさを偲ぶことができます。
王禅寺は、鎌倉時代には金沢北条氏の菩提寺である金沢山 称名寺(→神奈川県横浜市金沢区金沢町)の末寺に属しましたが、1333(元弘3)年5月に足利高氏(のちの尊氏)の命令で挙兵した新田義貞率いる討幕軍によって大伽藍は兵火に包まれたと記されます。室町時代になると北条文化の見直しが行われ、鎌倉公方足利氏(→室町幕府の関東統治機関である鎌倉府の長官)の保護を受けて真言密教の道場として再興されました。
江戸時代には本山・末寺の制により真言宗醍醐寺派の大本山醍醐寺の塔頭三宝院(→京都府京都市伏見区醍醐東大路町)の末寺となりました。さらに王禅寺村(→旧麻生郷の1つ)が2代将軍徳川秀忠の御台所(崇源院→お江の方)の化粧料地に含まれたこともあり、王禅寺は徳川将軍家の保護を受けました。1626(寛永3)年にお江の方が亡くなると、その棺を担ぐ人々が結集し、葬儀が行われた三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)まで運ばれたと記されます。1642(寛永19)年には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の頃)から寺領30石を拝領し、幕藩体制の一翼を担いました。
王禅寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡王禅寺村の条に次のように記されています。
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王禅寺
村の東の方の山上にあり、星宿山華蔵院と号す、当寺は近郷にての古刹にして、しかも頗(すこぶ)る大寺なり、古(いにしえ)は久良岐郡金沢称名寺の末にして、禅・律・真言の三宗を兼学せしと云(いう)、今は京都醍醐三宝院に属して密教のみを奉せり、開闢(かいびゃく)の来由は詳(つまびらか)ならず、寺伝には孝謙天皇(→奈良時代後期の女帝)御霊夢の告(つげ)により当村の小名光かが谷(→加賀谷)の土中より、一寸八分(→約5cm)の観音を穿出(ほじくりだ)さしめ給ひ、伽藍を御創建あり、年へて破壊せしを、崇徳院(→平安時代後期の崇徳上皇、保元の乱で敗れて阿波に配流)の御宇御再建ありしなどといへど、これは全く後に御妄設なるべし、孝謙帝仏を信じましませしにより、付会の説をなせしもの、ここにもかぎらずああたあり、又崇徳院の頃は世の中やうやう(ようよう→だんだん)おだやかならず、かかる東国辺鄙までの御結構に及ばざるべきやうなければ、とかく古(いにしえ)のことは伝はざるならん、されど古刹なることは、今よりもその境内のさまをはじめとして、語ゆべからざること多く見ゆ。
「小田原北条家役帳」に、麻生(あさお)内王禅寺領五十貫文とあり、是(これ)永禄(戦国時代中期→1558年~1570年)の頃なり、天正(→1573年~1592年)の頃の文書には、三十貫文とのす、かくあまたの寺領ありしこと鎌倉将軍家時代よりの名残(なごり)なるべくおもはる、御当代(→江戸時代)に至りても、寛永十九年(江戸時代前期→1642年)寺領三十石の御朱印を賜はれり、境内もまたいとひろし、土人(→土地の住人)の伝へに、いつの頃か当山を関東の高野山と号せしと、その地のさまをうつさんとせしに、山内の谷々九十九ありて百谷にたらざりければ、やみしといへり、是(これ)は誤(あやまり)し説なるべけれど、境内のひろきことはこれにてもはかりしるべし。
仁王門
四間に二間半、前にそこばく(→幾らか)の石階あり、それより前境内の入口まで、左右に古木並(ならび)たてり。
石階
仁王門の内にあり、高さ十五間ほど。
本堂
七間四方、南向(みなみむき)なり、大悲閣の三字を扁す、本尊は観音、木の坐像にて、長(ながさ)二尺八寸(→約84cm)ばかり、これは後世造りしものなりと云(いう)、昔の本尊はいつの頃か失ひて今はなし、前にかくる所の鰐口(わにぐち)に刻して云(いう)、奉寄進相州小田原西光院円盛、武州星宿山王禅寺常在としるし、裏に元亀二年(戦国時代中期→1571年)十二月吉日、諸願成就、皆令満足とあり。
寺宝
古文書五通。(内容は割愛)
客殿跡
本堂の巽(→東南)の方にあり、近きころ回禄(→火災)にあひて再興せず、又庫裏(くり)等もこのつづきなりしが、これも焼失せりと云(いう)、この時記録なども多くうしなひしとおもはる。
稲荷社
堂に向(むかい)て左にあり、小祠。
青龍権現
堂ならびにて左にあり。
寺中
金剛院
本堂より西のほうにあり。
持明院
同南の方にあり。
東持院
同南の方にあり。
宝幢院
同西にあり。
蓮乗院
同西の方にあり。
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【王禅寺の山門】
【王禅寺の参道】
【王禅寺の本堂】
【王禅寺の境内】
境内の庭には「禅寺丸柿」で名高い柿の木が植えてあります。
【王禅寺の薬師堂】
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↓↓金沢山 称名寺について➀
↓↓金沢山 称名寺について②
↓↓三縁山 広度院 増上寺について


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