戒翁寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
芳林山 戒翁寺(神奈川県川崎市麻生区早野)は、正式には「芳林山 向嶽禅院 戒翁寺」という曹洞宗寺院です。戦国時代の天正年間(1573年~1591年)に都筑郡片平村の修広寺3世玄頓和尚(げんとんおしょう)によって開山されましたが、1590(天正18)年に北条氏が滅亡すると寺勢は衰えました。
しかし、江戸時代初期の寛永年間(1624年~1645年)に小田原北条氏の旧臣から幕府旗本に取り立てられた富永重吉(とみながしげよし)が早野村の領主となり、幕府から寺領5石5斗を賜り堂宇を再建しました。江戸時代には開山した夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の末寺であったようです。
戒翁寺近くの御堂山(おどやま)には、地元の人々から「殿様の墓」と呼ばれている石造の五輪塔が4基あります。これは領主の富永重吉とその一族の墓(もしくは供養塔)であり、御堂山では現在でも遺跡等の発掘調査が続けられています。
なお、戒翁寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡早野村の条には次のように記されています。
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戒翁寺
境内御朱印地(→幕府から拝領した寺領)、村の東にあり、禅宗曹洞派片平村修廣寺の末、芳林山と号す、開山貴山玄頓、天正十九年(安土桃山時代後期→1591年)十一月二十六日寂す、開基は此所の地頭富永主膳正源光吉、天保三年(江戸時代後期→1832年)十二月十六日卒す、客殿七間半に六間半、西向(にしむき)なり、本尊如意輪観音木の座像一尺五寸(→約45cm)なるを安す、慶安二年(江戸時代前期→1649年)十月十七日、高五石五斗の御朱印を賜はれり。
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現在の本堂は1994(平成6)年に建立されたものです。
【戒翁寺】
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↓↓夏蒐山 修廣寺について


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