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恒例の秋の芸術祭2019 ~可愛い三鱗紋と龍神~

らしんばん恒例の「秋の芸術祭2019」です。今年は定期テスト期間の関係で12月になってからの開催です。生徒は日頃さわることのできないホワイトボードとマーカーを手にして楽しそうに思い思いの絵を描いていました。その中で生まれた今年の最優秀賞はこちら。

「可愛い三鱗(みつうろこ)紋と、その伝承のモデルになった龍神」です。

北条家の家紋にして羅針盤ゼミナールが誇る日本史専門講座「北条塾」のロゴマークでもあります。南北朝時代に書かれた軍記物の『太平記』によって、鎌倉幕府の初代執権北条時政が江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願した折に、美女に変身した大蛇(→中世は大蛇は龍神のこと)が神託を告げたのち、三枚の鱗を残して消え、時政はそれをありがたく持ち帰って家紋にした、という逸話が「創作」されました。本来蛇のウロコははがれませんが、それはまあ置いておきましょう。

そのため、三鱗紋は北条氏の代表紋として知られるようになりましたが、もともと鱗紋は平安時代に魔除けとして広く使用されていたものです。平安時代の大和絵を見ると、庶民の衣服や貴族の牛車に三鱗紋が描かれているものがあります。三角形の頂点が魔を払うと信じられていたからでしょう。晴明神社(京都府京都市上京区)の神紋である五芒星なども同様の理由でしょう。陰陽師は魔を払う(とされる)職種ですので三角形の組み合わせは大切です。

よく鎌倉北条氏の紋は正三角形で、戦国大名の小田原北条氏の紋は二等辺三角形(「北条鱗」)だと書かれた書物がありますが、それは誤解でありましょう。鎌倉や伊豆の北条氏の館跡や、博多の鎮西探題(→九州を統轄した鎌倉幕府の出先機関)跡から出土した三鱗紋入りの食器(→かわらけなど)を見る限り、三角形の形状に統一性があったとは思えません。

家紋の規格が正式に固定化されたのは江戸時代になってからであり、そもそも武家の家紋とは他者と見分けがつけばそれでよいので、正三角形だろうが二等辺三角形だろうが、線がゆがんでいようが、遠目から敵味方の判別がつけばそれでよかったのです。

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