功運寺(東京都中野区)を訪問しました
龍宝山 万昌院 功運寺(ばんしょういん こううんじ)は、東京都中野区上高田にある曹洞宗寺院です。萬昌院と功運寺はもとは別々の寺院だったようですが、戦後の1949(昭和24)年に合併したとといいます。
赤穂事件(→忠臣蔵で有名)の被害者である吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の菩提寺としても知られています。義央の読みは以前は「よしなか」とされていましたが、近年の研究により「よしひさ」が正しいようです。
萬昌院は、戦国時代の1574(天正2)年に今川長得(ちょうとく→今川義元の三男)が開基し、何度か移転を繰り返して現在地に落ち着いたようです。開基時、今川氏は戦国大名としてはすでに滅亡しており、今川氏の一門はそれぞれ北条氏や徳川氏などのもとに身を寄せていました。境内には「今川家歴代墓」があります。
私が訪問した日は12月15日で、江戸時代中期の1702(元禄15)年12月14日早朝に赤穂浪士たちが「亡き主君の仇討ち」と称して吉良邸を襲撃し、吉良義央を討ち取った日にあたります。『忠臣蔵』ファンの方は、浅野長矩(あさのながのり→江戸城内で吉良義央に斬りつけて切腹させられた赤穂藩主)や大石良雄(おおいしよしたか)ら赤穂浪士の墓がある万松山 泉岳寺(東京都港区高輪)に行かれるようです。
12月14日深夜に討ち入り(→襲撃)が行われましたが、江戸時代は朝日が昇ると日付が変わると考えられていたため、吉良義央の命日は12月15日ということになります。この日、参列者は少なかったですが、吉良義央の墓の周りで供養が営まれていました。
【功運寺】
【吉良義央の墓と家臣の供養碑】
【今川家歴代墓】


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