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籠口ノ池(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました。

籠口ノ池(ろうぐちのいけ→神奈川県川崎市麻生区下麻生2丁目)は、「白龍伝説」と「白蛇伝説」を伝える溜池です。

(1)討幕軍を呪った白龍伝説
鎌倉時代末期の1333(元弘3)年5月15日~16日に、新田義貞足利義詮(よしあきら→足利尊氏の嫡子)らの討幕軍は、分倍河原の戦い・関戸の戦い(→ともに東京都府中市)で北条泰家(→得宗北条高時の同母弟)が率いる幕府軍を破り、さらに本隊が鎌倉街道上ノ道を進み、平尾(→東京都稲城市)、金程(→神奈川県川崎市麻生区)と進軍し、金沢北条氏の所領である麻生郷(王禅寺村など)に侵攻しました。

その際、新田義貞率いる本隊が星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)を焼き払った時に、「籠口ノ池から白龍が現れ反乱軍(→討幕軍)を呪った」という伝承が地域に残ります。現実には白龍は存在しませんし、呪いなども存在しません。しかし、伝承が現在に残るほど麻生郷(王禅寺村や下麻生村など)の郷民が金沢北条氏の善政に恩義を感じ、激しく討幕軍に抵抗し、池付近の戦いで池に落ちて溺死した討幕軍将兵が、それなりにいたことを示す伝承だと理解されます。籠口ノ池公園内には中世の面影を残す切通(きりどおし)が残っており、傾斜や起伏の多い地形で幕府軍が待ち構え、麻生郷の郷民も何らかの形で後方支援(→飲食物の提供など)をしたのでしょう。


(2)お江の方の白蛇伝説
籠口ノ池にはもう1つ「白蛇伝説」があります。江戸時代初期の王禅寺村は、2代将軍の徳川秀忠の御台所であるお江の方(→浅井長政お市の方の娘、織田信長の姪)の化粧料(→女性の財産)でした。1626(寛永3)年9月15日にお江の方が死去した際、「彼女が白蛇に化身して闇夜に水を飲みにきた」という伝説です。さすがに現実離れしていますが、この伝承は、王禅寺村の村民がそれだけお江の方の死を悲しんだということを伝えています。実際、彼女が亡くなった時、王禅寺村の住民は彼女の棺を将軍家の菩提寺の1つでもある三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)まで担いだという記録が残されています。

地域に残る伝承とは、何かしらの史実に尾ひれがついて大袈裟に、時に現実離れするほど誇張して伝わるものが多いのですが、その何かしらが何なのかをつき詰めていくことが地域史の面白さであり、正史を補完して史実を復元する助力になります。地域のコミュニティに伝承は欠かせないものだと感じます。


籠口ノ池を含む麻生郷の溜池は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡下麻生村の条に「谷川」として次のように記されています。

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下麻生村
谷川
王禅寺村より入り、村内にて鶴見川に合す、川幅二間半ばかりあり、用水にもこれを引用(ひきもち)ゆ、又溜井二ヶ所あり、北の方にあり、或(あるい)は所によりて用水の助(たすけ)ともなせり。

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【籠口ノ池】
籠口ノ池1

籠口ノ池2

籠口ノ池4

籠口ノ池5

籠口ノ池6

籠口ノ池7

籠口ノ池8

籠口ノ池9

籠口ノ池10

籠口ノ池11

籠口ノ池12


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↓↓白山神社・はかな谷伝説について


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