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雲峰寺(山梨県甲州市)を訪問しました

裂石山 雲峰寺(さけいしざん うんぽうじ)は、山梨県甲州市塩山上萩原にある臨済宗妙心寺派の禅刹で、東大寺の大仏造立に貢献した行基が奈良時代中期の745(天平17)年に開基したと伝わります。行基は法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶ですが室町時代以前の雲峰寺は天台宗寺院で、戦国時代に恵林寺の末寺となり臨済宗に改宗したようです。本尊は十一面観音像で、戦国時代には甲斐武田氏の祈願所の一つとされました。戦国大名は武運長久や国家安穏・子孫繁栄を祈り、あちこちに氏寺や祈願所・菩提寺をつくりました。

宝物殿(→正午から午後1時までは休館)には、武田勝頼公の遺命によって運びこまれた日の丸の御旗(みはた)、孫子(→風林火山)の旗諏方神号旗馬標旗などが展示されています。特に日の丸の御旗は平安時代の1056(天喜4)年に源義頼(→義家の父)が後冷泉天皇から賜ったとされ、楯無の鎧とともに甲斐武田氏の家宝とされてきました。甲斐武田氏は合戦の前には、当主が楯無の鎧と日の丸の御旗のに向かって「御旗楯無も御照覧あれ」と3回唱えて必勝を宣誓しました。

日の丸の御旗
(日の丸の御旗)

孫子の旗
(孫子の旗)

諏方法性旗
(諏方神号旗)

これらの家宝が雲峰寺に運ばれるまでの逸話が残されています。
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江戸時代に編纂された『甲斐国志』によると、1582(天正10)年3月11日武田勝頼公が自害して甲斐武田氏は滅亡しますが、滅亡の際に勝頼公は家臣の田辺佐左衛門尉(すけざえもんのじょう)を呼び、

「武田家重代の家宝、小桜緯威鎧(こざくらよこいとおどしのよろい→楯無(たてなし)の鎧)と日の丸の御旗(みはた)、諏方法性(すわほっしょう)の旗、孫子の旗(→風林火山の旗)などを持って山伝いに雲峰寺(→山梨県甲州市塩山)に逃れよ」

と命じたといいます。田辺佐左衛門尉は命令に従い織田軍の乱取りや略奪を避けるためいったん「楯無の鎧」と「日の丸の御旗」を向嶽寺(→山梨県甲州市)の杉下に埋め、のちに甲斐国を支配した徳川家康が掘り返して「楯無の鎧」を菅田天神社に安置されたと伝わります。
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しかし、鎧の精密調査の結果、埋められた痕跡や土壌成分は検出されなかったといい、楯無の鎧は国宝に指定されていますが、実際は江戸時代に盗難にあったり劣化がひどかったため江戸時代の鎧師による修復がかなりされているため、平安時代当初の姿ではないという専門家の意見もあります。

なお、「日の丸の御旗」「孫子の旗(→風林火山の旗)」「諏方法性の旗」などは勝頼公の遺言通り雲峰寺に安置され、宝物館で見ることができますが、「日の丸の御旗」は4分の1ほどが欠損してしまっています。「孫子の旗(→風林火山の旗)」も『甲陽軍鑑』によると恵林寺の高僧快川紹喜(かいせんしょうき)の筆によるものと伝わりますが、実際には複数の孫子の旗を武田軍は用いていたようです。
「諏方神号旗」は孫子の旗よりも古い時代より武田氏の軍旗として用いられ、「諏方法性(すわほっしょう)旗」「諏方明神旗」「諏方梵字旗」という3種類の旗の総称です。中世諏訪は「諏方」と書かれました。

【雲峰寺】
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