浅草寺(東京都台東区)を訪問しました
金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)は東京都台東区浅草にある都内最古の天台宗寺院でしたが、戦後に天台宗から独立して聖観音宗の本山となりました。創建は寺伝によると飛鳥時代の628(推古天皇36)年で、本尊は絶対秘仏とされる聖観音菩薩です。それゆえ浅草寺は浅草観音とも呼ばれています。参道には隅田川で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかったことが創建につながった逸話や、鎌倉時代に源頼朝が参詣したこと、江戸時代には徳川家康が祈願所と定め寺領500石を与えたことなどが絵入りパネルで表示してあり、仲見世通りの高揚感と相まって参道を歩くだけでも楽しめます。なお、参道は食べ歩き禁止です。




































































































































雷門・仁王門などは平安時代中期の942(天慶5)年に武蔵守となった平公雅(たいらのきみまさ)が七堂伽藍を整備したときに創建したと伝わります。浅草寺の伽藍はたびたび火災で焼失しましたが、江戸幕府の3代将軍徳川家光の援助により1648(慶安元)年に五重塔が、翌年に本堂が再建されました。江戸時代中期になると境内西側の「奥山」と呼ばれる地域で大道芸などが盛んに行われるようになり、錦絵の題材にもなるほど賑わいを見せました。大正時代に流行した「東京節」の歌詞の中でも「東京で繁華な浅草は 雷門 仲見世 浅草寺」と歌われています。
だだ、江戸時代に再建された伽藍は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災には耐えたものの(→仲見世は壊滅)太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲により、旧国宝の本堂と五重塔などが焼失したため、建物の多くは戦後に再建されたものです。特に雷門は実業家の松下幸之助が浅草寺境内の浅草観音に病気平癒の祈願をした縁で再建されたもので、門内にはパナソニック(→もと松下電器産業)が寄贈した大提灯があり、戦前の大提灯よりも桁違いな明るさとなり浅草寺を象徴する山門になっています。
【雷 門】





〖大提灯を下から見ると〗





【仲見世通り】



【参 道】











【宝蔵門(仁王門)】






【本堂(観音堂)】










【五重塔】







【影向堂】







【薬師堂】


【淡島堂】







【銭塚地蔵堂】









【宝光山大行院】

【六角堂】





【写経供養塔】


【針供養塔】

【戦災供養地蔵尊】



【三峰神社】


【一言不動尊】

【九頭龍権現】

【金龍権現】

【めぐみ地蔵】


【聖観音菩薩碑・聖観音菩薩像】



【久米平内堂】


【平和地蔵尊】


【恵日須大黒天】

【銭塚弁財天】

【子育て地蔵尊】

【商徳地蔵尊】

【出世地蔵尊】


【六地蔵石幢】

【三尊名号供養塔】


【石橋・庭園】





【力石】


【瓜生岩子像】


【戸田茂睡の墓】



【「暫(しばらく)像】


【半七塚碑】


【群育撫象】

【花やしき通りへ】

【境内から見える東京スカイツリー】

【神輿(浅草駅)】





【浅草寺】

【東京節】


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