湯島聖堂(東京都文京区)を訪問しました
湯島聖堂(→東京都文京区湯島)は、江戸時代前期の1632(寛永9)年に儒学者の林羅山(はやしらざん)が上野の私邸に建てた私塾・文庫・孔子廟(→儒教の祖・孔子を祀る廟)を、1690(元禄3)年に江戸幕府の5代将軍徳川綱吉(つなよし)が神田湯島に移築させ、「聖堂」と呼ぶように改めたものです。孔子廟とともに移転した林家の私塾は多くの門人を輩出し、1797(寛政9)年に幕府の直轄学問所となる昌平坂学問所の基礎となりました。この「昌平」とは孔子が生まれた村の名前で、湯島聖堂がある坂は「昌平坂」と呼ばれました。
























この頃の幕府は、老中首座松平定信(→8代将軍徳川吉宗の孫・松代藩主真田幸貫の父)による寛政の改革(1787年~1793年)が行われており、幕府の直轄学問所では朱子学(→儒学の一派)以外の学問の教授を禁止する寛政異学の禁が出されていました。昌平坂学問所の跡地の大部分は、現在東京医科歯科大学湯島キャンパスが建っています。
湯島聖堂の建物は1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で壊滅的な被害を受け、主殿にあたる大成殿は1935(昭和10)年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。敷地内に建つ孔子像は1975(昭和50)年に台湾から寄贈されたもので、孔子像としては世界一大きいと言われています。
【昌平坂学問所】


【湯島聖堂】
























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