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陽運寺と於岩稲荷田宮神社(東京都新宿区)を訪問しました

江戸時代後期に鶴屋南北が著した『東海道四谷怪談』の主人公お岩さん。自分を毒殺した夫を怨霊となって呪い殺すという江戸時代後期の1825(文政8)年に初演されたこの戯曲はとても有名ですが、夫に毒殺され怨霊になったお岩さんという女性は実在しません。

モデルとなった徳川将軍家の御家人田宮又左衛門の娘・於岩(おいわ)さんという女性はいましたが、江戸時代初期の1636(寛永13)年に健気な一生を終えた女性であり、しかも、実際の於岩さんは田宮家に婿養子に入った伊右衛門(いえもん)とは仲睦まじく夫婦円満で、おしどり夫婦として地域に広く知られていました。家禄がわずか30俵3人扶持(→約16石)で没落しかかった田宮家の家計を救うために商家に奉公出てお家を再興させたすごい女性でもあり、当時から彼女にあやかろうと田宮家の敷地内にあった稲荷神社に詣でる武士や商人は多かったといいます。

於岩さんが亡くなったあとも稲荷神社は「夫婦円満」「商売繁盛」の利益があるとして人気を集め、江戸時代中期の1717(享保2)年に「於岩稲荷社」となり多くの人の信仰を集めました。現在の「於岩稲荷田宮神社」(→東京都新宿区左門町)も田宮家の人が宮司を務め、向かいには於岩さんを祀っている通称「於岩稲荷」と呼ばれる日蓮宗寺院長照山 陽運寺があります。陽運寺は狭い境内ながらカフェやお店もあり、かき氷を食べながら談笑している女性やコーヒーを飲みながら仕事をしている男性の姿もありに賑わっていました。怨霊や祟りとは無縁の、ものすごく澄んだ空気と落ち着く環境の神社とお寺でした。四谷の神社や寺院の中では一番人気があるのではないでしょうか。

繰り返しますが、『東海道四谷怪談』は完全なフィクションで、怨霊「お岩さん」は実在しません。そもそも幽霊だの怨霊だの祟りだのは存在しないので、著した鶴屋南北もまさか、数百年後の人々がお岩さんを信じたり、怖がったり、歌舞伎などで演じる前にはお参りをしないと祟りがあると迷信に囚われている人がいるとは思ってもみなかったことでしょう。於岩さんにとってはいい迷惑でしょうが、戯作作家として鶴屋南北の興行は大成功だったわけです。


【陽運寺】
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【於岩稲荷田宮神社】
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コメント

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Re: うおおお

>なおさん
コメントありがとうございます。

モデルとなった於岩さんは実はすごい人気者で良妻賢母だったことを知ると安心しますよね。
私もある年齢までは実話なのかと思っていました。

うおおお

私、今までずっと四谷怪談って本当の話だと思ってすっと怖がってましたe-447
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