十二神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
十二神社(→神奈川県川崎市麻生区万福寺)は、小田急線の新百合ヶ丘駅から歩いてすぐの場所にある神社で、江戸時代後期の1830(天保元)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都築郡万福寺村の条には「十二所社」と記されており、江戸時代中期の1711(正徳元)年11月1日に創建され、当時は万福寺村全体で17~18戸ほどでしたが、地元の有力者が資金を出し合って幕末の1851(嘉永4)年9月12日に社殿を再建したようです。現在の万福寺は人口が増えて1丁目~6丁目までで9482人(→2021年)が住み、駅前は高級マンションがずらりと並ぶ景観となり、社殿も鳥居も参道も2005(平成17)年に新しく作り替えられています。
十二神社の「十二」は十二柱の神々(→天神7代・地神5代)を祀ったことに由来します。一説には熊野十二所神社を勧請したともいいます。新しくなった十二神社ですが、参道入口から山頂の本殿へ至るまで多くの石造物が残されており、古い時代の石造物もわずかながら残されていました。
境内には小さな祠がいくつかあり、秩父か奥多摩の御嶽神社のものと思われる「大口真神」の札が祀られています。この札は万福寺の御嶽講が今でも毎年御嶽参りをして納めているようです。
出征兵士の祈願所
万福寺村の伝承では明治時代より出征する兵士が戦地へ赴く際に、神社境内にある砂を身に付けて出征すれば、めでたく無傷で凱旋できるという信仰が生まれ、この信仰は日清戦争(1894年~95年)・日露戦争(1904年~05年)はもとより、日中戦争~太平洋戦争(1937年~45年)にかけて出征兵士の間で無事の帰還を願って盛んに行われていたそうです。
〖祭神〗
・宇気母智大神(うけもちのおおかみ)→五穀を司る食物の神
※『日本書紀』のみに登場し、月読命(つくよみのみこと)に理不尽に斬殺された神。
【十二神社】






















【宇気母智大神像】






【祠】






【案内板】





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