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東郷神社(東京都渋谷区)を訪問しました

東郷神社(→東京都渋谷区神宮前1丁目)は、1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を全滅させ、日露戦争の勝利を決定づけた東郷平八郎を祭神として祀る神社です。1934(昭和9)年5月30日に東郷平八郎が86歳で死去すると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創立を求める要望書と献金が相次いだといいます。その中に旧岡山藩主池田氏の子孫の池田宣政(のぶまさ)がおり、池田侯爵家が所有する2万坪のうち1万2千坪を神社創立のため財団法人東郷元帥記念会に譲渡し、1940(昭和15)年に同財団によって東郷神社が創建されました。太平洋戦争開戦の前年にあたります。

創建時の社殿は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲によって焼失し、戦後しばらくはGHQの占領政策と軍国主義の排除の風潮から荒廃しましたが、高度経済成長期に社殿復興の機運が高まり1964(昭和39)年の東京オリンピックの年に社殿が再建されました。

ただ私は、平安時代の人が御霊信仰(→怨霊封じの風習)のため非業の死を遂げた者(→早良親王・菅原道真・平将門・崇徳天皇など)を神として祀ることでその加護を得ようと考えたのは神仏習合の誕生や末法思想の流行など時代背景や風習を考えると理解できるのですが、科学が発達した近現代(明治時代以降)に生きた人物(→明治天皇・乃木希典・東郷平八郎など)を神として祀ることには違和を覚えます。

とはいえ、溝口神社(みぞのくちじんじゃ→神奈川県川崎市高津区)の拝殿の揮毫が東郷平八郎の筆によるものであったり、三笠公園(→神奈川県横須賀市)にある記念館三笠(→戦艦「三笠」を復元)が東郷平八郎が日本海海戦で指揮を執った連合艦隊旗艦であるなど、東郷平八郎は神奈川県と縁の深い人物であったりもします。


〖東郷神社 祭神〗
東郷平八郎

〖東郷神社 摂社〗
水の宮→海軍・海事・水産関係者を祀る。

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東郷平八郎について
東郷平八郎は薩摩藩士の子として江戸時代後期の1848(弘化4)年に鹿児島で生まれました。戊辰戦争(1868年~69年)に新政府軍の海軍士官として従軍し、旧幕府海軍と宮古湾海戦(→岩手県宮古沖)などで戦い勝利しています。

明治時代初期の1871(明治4)年にはイギリス海軍に留学し、帰国後に海軍中尉となります。日清戦争(1894年~95年)では二等巡洋艦「浪速(なにわ)の艦長として豊島沖(ほうとうおき)海戦黄海(こうかい)海戦で活躍し、その後、海軍大学校長常備艦隊司令長官舞鶴鎮守府司令長官などを歴任し、1903(明治36)年に帝国海軍の実働部隊である連合艦隊司令長官に就任しました。日露戦争の前年にあたります。

日露戦争(1904年~05年)では秋山真之(さねゆき)参謀とともにロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させ、日露戦争の勝利に貢献しています。当時は日露戦争における英雄として「陸の大山(巌)、海の東郷(平八郎)と呼ばれ国民の崇敬を集めました。

大正時代初期の1913(大正2)年に元帥海軍大将に昇進し、1914(大正3)年~1921(大正10)年まで東宮(→皇太子、のちの昭和天皇)御学問所総裁を務めました。海軍の長老として昭和期にも影響力を持ちましたが1934(昭和9)年5月30日に86歳で死去し、遺体は多磨霊園(→東京都府中市・小金井市)に埋葬されました。

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【東郷神社の入口】
訪問したときは入口と庭園が工事中のため見学できませんでした。

東郷神社参道0

東郷神社参道1

東郷神社参2

東郷神社参道3

東郷神社参道4

東郷神社参道5


【東郷神社の参道】
東郷神社2

東郷神社3

東郷神社4

東郷神社5


【東郷神社の神門】
東郷神社神門1

東郷神社神門2

東郷神社神門3

東郷神社神門4

東郷神社神門5

東郷神社神門6

東郷神社拝殿1

東郷神社神門0


【東郷神社の拝殿・本殿】
日本海海戦で戦艦「三笠」に掲げられたことからZ旗(複製)が掲げられています。「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」とZ旗を掲げて全軍の指揮を鼓舞したことで知られています。Z旗は本来は国際信号旗の1つで単独で「私は引き船が欲しい」、漁場では「私は投網中である」という意味でしかありません。

東郷神社拝殿2

東郷神社拝殿3

東郷神社拝殿4

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東郷神社拝殿5

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東郷神社拝殿6

東郷神社拝殿7

東郷神社拝殿8

東郷神社拝殿9

東郷神社拝殿10

東郷神社拝殿11

東郷神社拝殿12

東郷神社境内1

東郷神社境内2

東郷神社境内3


【境内社 水の宮】
海軍・海事・水産関係者を祀っています。

水の宮1

水の宮2

水の宮3

水の宮4


【東郷神社の絵馬】
東郷神社絵馬1

東郷神社絵馬2


【説明パネル】
東郷平八郎の生涯やZ旗についての説明がパネル掲示されています。

東郷神社パネル1

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咳エチケットを呼びかける東京神社庁のポスターが可愛かったです。
東郷神社の咳エチケット


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コメント

非公開コメント

ありがとうございます!

東郷ターンについてすごく詳しく教えて
くださりありがとうございますe-446e-420
乙字戦法というのは初めて知りましたe-451e-267
勝利の裏でいろいろと作成があるのですねe-237
勉強になりましたe-446e-420

Re: 東郷ターンについて

>ミスミさん

コメントありがとうございます。質問は歓迎します。

東郷ターンは「敵前大回頭」とも呼ばれ、長らく日本海海戦で連合艦隊司令長官の東郷平八郎が用いた丁字(T字)戦法の1つと理解されてきました。丁字(T字)戦法とは縦陣(→縦1列)で向かってくる敵艦隊の進攻方向を妨げるように味方艦隊を横陣(→横1列)に配するので、上から見るとTの字になり、味方の全火力を敵の先頭艦に叩き込み、次々と各個撃破していくという戦法です。

ただ、日本海海戦がT字戦法によって完勝したというのは司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』などが創作した虚構で、防衛省の戦史研究書によりますと「東郷ターン」について、まずすれ違うかのように装い(→反航戦という)急に左折してロシア艦隊の先頭を斜めに圧迫した、と表現しています。その後、バルチック艦隊が右折することで併航戦(→艦船が並行して戦闘する)に戻りますが、速度に勝るが連合艦隊が前方に出て徐々に右折してロシア艦隊の前方を圧迫しました。バルチック艦隊も圧迫を避けるように右折して併航戦にもちこもうとしましたが、最終的に速力に勝る日本艦隊がロシア艦隊の前に出ることに成功し、「ハ字」のような形で縦射を加えて完勝した、と書かれています。

丁字(T字)戦法は敵艦から逆に集中砲火を受ける時間が長いというデメリットがあるので、旗艦「三笠」を主力とする1隊は速力を活かして敵艦隊の前方に出て、もう1隊は敵艦隊の後方に進出して挟み撃ちにする「乙字戦法」が秋山真之参謀が立てた本来の作戦だったようです。

バルチック艦隊のチグハグにも助けられ強引に丁字(T字)に近い「ハ字」を作り数的優位を活かして集中砲火で各個撃破に成功したため日本海海戦は30分足らずで完勝しました。もっとも至近距離で砲撃戦をする訳ですから実際に戦った水兵さんは地獄のような30分だったのではないでしょうか。


東郷ターンについて

ご質問してもよろしいでしょうかe-465
日本海海戦で東郷ターンというものがありますが、
これはどういう意味なのでしょうかe-351
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