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鐵神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

(くろがね)神社は、神奈川県横浜市青葉区鉄町にある神社で、全国屈指の高校ラグビー強豪校として有名な私立・桐蔭学園のバスターミナルに参道・狛犬・鳥居があり、神社は琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区)が管理しているため学園の許可を取らなくても自由に参拝できます。御朱印も琴平神社でいただけます。「鐵」は「鉄」の旧字体です。

「由緒・沿革」を記した案内板によると、戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建され、当時は青木明神杉山明神と称していたようですが、明治時代初期の1868(明治元)年に上鐵村・中鐵村・下鐵村の3村がが合併した際に、村名をとって社名を「(くろがね)神社」と改めたとあります。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』中鐵村の条には「青木明神・杉山明神合社」と記されています。「明神」とは神仏習合における仏教的な神の称号の1つです。

10月14日に大例祭があり、10月第1日曜日と10月吉日に鐵古典獅子舞が奉納されます。この獅子舞は横浜市無形民俗文化財に認定されており、安土桃山時代後期から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に始まり、江戸時代末期には既に盛んに舞われていたようです。

〖祭神〗
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)→子授かりの神
五十猛尊(いそたけるのみこと)→樹木の神
菅原道真(すがわらのみちざね)→天神・学問の神

鉄(くろがね)町の「鉄火松」伝説
鐵神社のある鉄町にかつてあった松の巨木にまつわる伝承です。
昔、早野村(→神奈川県川崎市麻生区)と鉄村(→神奈川県横浜市青葉区)の村境をどこにするかで争論がありました。両者とも一歩も譲らず、争いは長く続きました。これが村役人の耳に入り、両者は村役人の裁きに委ねることにしたのです。

村の代表者の立ち合いの下で、村役人に対してそれぞれの言い分を主張し、村役人は「鉄火の法」(→鉄火起請という)で決めると言い出しました。「鉄火の法」とは、鉄の棒を灼熱に焼き、主張に嘘偽りがなければ神慮によりその棒を握らせて長く握っていられ、嘘偽りがあればたちまち手が焼き焦げるというものです。鉄棒の代わりに焼いた石を握る「石焼の法」もあり、これらは戦国時代によく見られた裁判方法です。弥生時代の頃より行われていた熱湯に手を入れてただれ方で正邪を判断する盟神探湯(くかたち)に起源を求めることができます。

最初に鉄村の代表が真っ赤に燃える鉄棒を握ろうとしましたが、すぐに手を離してしまいました。次に早野村の代表が灼熱の棒を握ったところ、何時までも握っていられたといいます。これにより早野村の主張が通り、村境の目印として松が植えられました。松は長い年月を経て巨木に成長し、いつしか「鉄火松」と呼ばれるようになりましたが、太平洋戦争中(1941年~1945年)に枯れてしまい、戦後まもない1947(昭和22)年に伐採され、現在はその跡地に石碑が建てられています。

鉄火松跡
(鉄火松跡の碑)


【鐵神社参道】
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【鐵神社】
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