豪徳寺(東京都世田谷区)を訪問しました
大谿山 豪徳寺(だいけいざん ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある曹洞宗寺院です。室町時代の1480(文明12)年に世田谷城主吉良政忠(きらまさただ)が創建した臨済宗寺院の弘徳院が前身で、戦国時代に曹洞宗に改宗され、江戸時代前期の1633(寛永10)年に世田谷が譜代大名筆頭の彦根藩主井伊氏の知行地となってからは江戸における井伊家の菩提寺となりました。寺号は2代藩主井伊直孝(いいなおたか)の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に由来します。
















































































境内の井伊家墓所には1860(安政7)年3月3日の桜田門外の変で水戸浪士らに殺害された大老・井伊直弼(いいなおすけ)の墓もあります。
豪徳寺と招き猫
彦根藩主井伊直孝が鷹狩りの帰りに、弘徳院(→現在の豪徳寺)の門前にいた住職の愛猫「たま」に手招きされ、立ち寄ることにしました。寺で過ごしていると突然雷が鳴り雨が降り始めます。雷雨を避けられた上に和尚との話も楽しめた直孝は、その幸運に感謝して弘徳院を支援して菩提寺にしたといいます。
豪徳寺では福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、招福殿が建てられました。堂内には招福観音菩薩立像の周りにたくさんの招き猫の人形が奉納されています。2006(平成18)年には猫の彫り物が施された三重塔も建立されています。

【参道】







【山門】
「碧雲関」という額が掲げられています。






【三重塔】
干支の子(ね→ネズミ)と仲良くする招福猫児(まねきねこ)や、三重塔でくつろぐ猫など、いろいろな



















【仏殿】
江戸時代前期の1677(延宝5)年に建立されました。阿弥陀如来像・釈迦如来像・弥勒菩薩坐像などが安置されています。










【本堂(法堂)・庫裏】
昭和時代後期の1967(昭和42)年に建立されました。本堂には聖観音菩薩立像・文殊菩薩坐像・普賢菩薩座像・地蔵菩薩立像が安置され、大老・井伊直弼肖像画が飾られています。







【招福殿】
彦根藩井伊氏との縁を結んだ招き猫から、かつて猫の塚がありました。招福殿は昭和時代初期の1933(昭和7)年に建立されました。
















【赤門】
彦根藩の江戸上屋敷にあった長屋門が、井伊家から寄進されたものです。当初は東門にありましたが、現在の場所に移築されました。


【鐘楼】
国士舘高校の校歌(舘歌)の歌詞にも出てくる「豪徳寺の鐘」は、江戸時代前期の1679(延宝7)年に鋳造されました。世田谷区内では最も古い梵鐘になります。



【仏舎利塔】

【六地蔵・馬頭観音】
招福殿の向かいにあります。







【井伊家墓所】
2代藩主井伊直孝の墓や、桜田門外の変で凶刃に倒れた大老・13代藩主井伊直弼をはじめ、歴代藩主や正室らの墓が並んでいます。



(墓所案内図)


(井伊直孝の墓)






(井伊直弼の墓)



(歴代藩主・正室の墓)
【地蔵堂】
2020(令和2)年9月に落成した新しいお堂です。地蔵菩薩半跏像が安置されています。土日祝日・正月・お彼岸・お盆に開放されるようです。



【奉納所】

【東門】


猫派の私としてはたくさんの招き猫像を拝めて眼福でした。


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