稲毛浅間神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました
久しぶりに稲毛浅間神社(→千葉県千葉市稲毛区稲毛)を訪問しました。稲毛浅間神社は、平安時代前記の808(大同8)年に富士山の御神体とされる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神として分霊した神社で、中世の豪族千葉氏の崇敬の厚い神社としても有名です。千葉氏の家紋の1つである九曜紋をかたどった神紋と社殿からも、千葉氏との関係性が窺えます。































































































鎌倉時代を通して下総国守護を務めた有力御家人千葉氏も、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代にかけて一族で内訌(→内部抗争)が相次ぎ、特に関東地方が戦国時代に突入する享徳の乱(1454年~1482年)以降は、下総・九州・武蔵に分裂していた千葉氏がさらに分裂・抗争を繰り返して弱体化した結果、戦国時代には小田原北条氏に従属する北条方国衆にまで没落し、1590(天正18)年の小田原合戦で北条氏が滅亡すると、小田原城に籠城していた千葉重胤(しげたね)をはじめとする千葉一族は、豊臣秀吉によって所領を全て没収され豪族としての千葉氏は滅亡しました。千葉一族は江戸時代になっても御家再興が許されなかったため、その多くが房総半島各地で帰農しました。
境内には歴代宮司の名が記された石碑があるのですが、その中に高石氏(→千葉氏の庶流)から養子を迎えた布施さんという宮司の名が目につきます。高石氏の子孫が浅間神社の宮司を務めていたということは、現代も千葉一族が浅間神社を守っているという見方もできます。
〖主祭神〗
・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
→日本神話で最も美しいとされる女神です。
〖祭神〗
・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
→日本神話で木花咲耶姫を妻にしたとされる神です。
・猿田彦命(さるたひこのみこと)
→庚申講や道祖神と結びつき信仰された神です。
〖境内社(祭神)〗
・八坂神社(素戔嗚命 すさのおのみこと)
・大宮神社(大山祇神 おおやまつみのかみ)
・稲荷大明神(宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ)
・小御嶽神社(磐長姫命 いわながひめのみこと)
・厳島神社(市杵島姫命 いちきしまひめのみこと)
・合殿
・小室神社(木花咲耶姫 このはなさくやひめ)
・若宮社(彦火火出見尊 ほのおりのみこと)
・香取神社(経津主命 ふつぬしのかみ)
〖祠(祭神)〗
・神明社(天照大神 あまてらすおおみかみ)
・三峰神社(伊弉諾命 いざなぎのみこと、伊弉冉命 いざなみのみこと)
・古峰神社(日本武尊 やまとたけるのみこと)
・水神宮
・山王宮
・天王宮
・庚申様(猿田彦命 さるたひこのみこと)
・みろくさま
・忠霊碑(日露戦争・太平洋戦争の戦死者)
【浅間神社の鳥居】




【浅間神社の二の鳥居】




戦前の二の鳥居

(写真提供: 千葉市ゆかりの家・いなげ)
【浅間神社の二の鳥居の向かいの鳥居】

戦前は海岸に建っていました

(写真提供: 千葉市ゆかりの家・いなげ)
【参道】









【本殿】












【浅間神社の神楽】



【厳島神社】




【小峰神社】





【合殿(小室神社・若宮社・香取神社】


【みろくさま】







【八坂神社】



【大宮神社】



【神明社】




【三峰神社】



【小峰神社】


【庚申様】





【水神宮】



【山王宮】



【天王宮】



【稲荷大明神】




【石碑・石造物】









一昨日ご紹介した愛親覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ)は稲毛浅間神社に隣接する場所にあります。現在の国道14号線が海岸線だったため、明治時代から大正時代にかけて稲毛には多くの文人や軍人・政治家が別荘や別邸を建てました。その頃から浅間神社は多くの参拝者で賑わっていたと伝わります。
↓↓愛親覚羅溥傑仮寓について


スポンサーサイト

コメント