琴平神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁
武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、創建年代等の詳細は不明で『新編武蔵風土記稿』にも記載がありませんが、社伝によると戦国時代の1570(元亀元)年頃には創建されていたといいます。江戸時代初期の王禅寺村は、2代将軍徳川秀忠の正室・崇源院(→お江の方)の化粧料となり、代官として大久保長安や神谷弥五郎らが治め、年貢は酒井讃岐守に納められました。
琴平神社が建つ場所は、1711(正徳元)年以前は「伊勢山」と呼ばれ、天照大神をまつる神明社があったようです。1826(安政26)年には、地元の名主志村氏によって四国の金毘羅宮の祭神をこの地に勧請して神明社と琴平社の合社という今日の形が出来上がったといいます。
1826(文政9)年に建立された奥院(本殿)と拝殿を含む御社殿は、2007(平成19)年に放火により全焼しました。本殿の天井には渡辺崋山(わたなべかざん)の筆と伝えられる63枚の板絵(→天井画)がありましたが、それらも全て焼失しました。現在の本殿と天井画は2011(平成23)年に再建され、天井画は絵師でもある宮司の筆により復元されたものです。
〖祭神〗
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
武州柿生 琴平神社は、『志村家文書』に次のように記されています。
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崇源院様御繁栄之砌(すうげんいんさま ごはんえいのみぎり)に祈禱所として王禅寺村の鎮守大明神を勧請し、それ以来、伊勢踊、神事礼、湯礼、神楽等でお仕えしてきた王禅寺村の鎮守である。
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【武州柿生 琴平神社の大鳥居】
1991(平成3)年に天皇即位を祝して建て替えられたといいます。朱塗りの大鳥居は幅14ⅿ、高さ13ⅿあり、麻生区内の神社の中でも最大級となります。鳥居に掲げられている神額は香川県金刀比羅宮の宮司の揮毫によるものといいます。




【武州柿生琴平神社の儀式殿船形手水舎】
大海原を照らす少名毘古那神(すくなひこなのかみ)を表しているといいます。

【武州柿生 琴平神社の奥院(本殿)】
狛犬は新旧2対あり、古い方の狛犬は江戸時代後期の「天保九年(→1838年)戌年十月吉日」と刻まれており、旧王禅寺村の名主・志村文之丞が奉納したものといいます。








「がまんさん」と呼ばれる4人の山伏が手水鉢を支える珍しい手水舎です。














【武州柿生 琴平神社の儀式殿】
多くの人が本殿と思い込んでいますが、ここは拝殿です。





【武州柿生 琴平神社の境内社(銭洗弁財天)】
江戸時代後期の1804(文化元)年の創建といいます。もともとは星宿山 王禅寺境内の蓮池に建立されていた石宮です。旧王禅寺村弁財天巳待講(みまちこう)の崇敬を集めていたもので、1868(明治元)年の神仏分離令を受け、現在地に移され社殿が再建されました。













【武州柿生 琴平神社の大黒様(左)・恵比寿様(右)】
大黒様は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、琴平神社の祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)と同じ神とされています。恵比寿様は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、大坂市浪速区の今宮恵比寿神社の神とされています。




【武州柿生 琴平神社の東屋】
休憩所のような場所です。周りには藤棚や枝垂れ桜が植えられています。



【武州柿生 琴平神社の境内】





琴平神社境内社の「お多賀さん」については後日紹介いたします。
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↓↓武州柿生 琴平神社の境内社「お多賀さん」
(後日修正版を公開予定)


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