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登戸稲荷神社(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

登戸稲荷神社(のぼりといなりじんじゃ→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、稲荷神と同一とされる穀物・食物の神である宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)と伊勢神宮外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)を主祭神として祀る神社です。宇賀魂大神は神社によっては宇迦魂大神倉稲魂命と表記されますが、読み方は同じです。

江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』登戸村の条には、「稲荷社 村の乾(→北西)の方小名東耕地あり、この所の鎮守なり、本社は纔(わずか)なる祠にて、拝殿三間に二間東向内に石の鳥居あり、勧請の年暦を伝えず、村内光明院の持。」と記されています。

創建年代は不詳ですが、神奈川県神社庁によりますと、1582(天正10)年3月11日に甲斐武田氏が滅亡したのち、武田遺臣の吉沢兵庫(→小荷駄奉行)が登戸(のぼりと)に帰農し、その邸内に祀られていた社(やしろ)が登戸稲荷神社の始まりとされています。1590(天正18)年に多摩川の洪水で社殿が流失したため、現在地に遷座して社殿を再建したようです。江戸時代までは稲荷社と呼ばれており、別当寺の稲荷山光明院(→神奈川県川崎市多摩区登戸)が祭祀を司っていました。しかし、江戸時代後期の嵐で「寛政六年」(→1794年)と彫られた石の鳥居と社殿が倒壊したため、再建されたものが今日の鳥居と社殿になります。社殿は左官職人によって外壁に漆喰装飾が施されています。


〖主祭神〗
宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)

〖合祀社〗
第六天社
神明両社
牛頭天王
金山大社
松尾大明神
弥周稲荷社

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【登戸稲荷神社の鳥居】
鳥居の前には江戸時代後期の「天保十五年」(→1844年)と彫られた石碑と由緒書き、稲荷社と左官職人についての説明版が建っています。

登戸稲荷神社の入口1

登戸稲荷神社の入口2

登戸稲荷神社の入口3

登戸稲荷神社の入口4

登戸稲荷神社の入口5

登戸稲荷神社の入口6

登戸稲荷神社の入口7

登戸稲荷神社の入口8

登戸稲荷神社の入口9

登戸稲荷神社の入口10


【登戸稲荷神社の神狐】
顔の一部が欠けていますが稲荷社らしく神狐が石灯籠の間に配されています。

登戸稲荷神社の神狐1

登戸稲荷神社の神狐2

登戸稲荷神社の神狐3


【登戸稲荷神社の拝殿・本殿】
左官職人によって外壁に漆喰装飾が施されています。

登戸稲荷神社の拝殿・本殿1

登戸稲荷神社の拝殿・本殿2

登戸稲荷神社の拝殿・本殿3

登戸稲荷神社の拝殿・本殿4

登戸稲荷神社の拝殿・本殿5

登戸稲荷神社の拝殿・本殿6

登戸稲荷神社の拝殿・本殿7

登戸稲荷神社の拝殿・本殿8

登戸稲荷神社の拝殿・本殿9

登戸稲荷神社の拝殿・本殿10

登戸稲荷神社の拝殿・本殿11

登戸稲荷神社の拝殿・本殿12

登戸稲荷神社の拝殿・本殿13


【登戸稲荷神社の忠魂碑】
境内には日露戦争・日中戦争・太平洋戦争の戦没者を祀る忠魂碑が建っています。中央の石碑は日露戦争で第三軍を指揮した乃木希典(のぎまれすけ)大将の書によるものです。

登戸稲荷神社の忠魂碑1

登戸稲荷神社の忠魂碑7

登戸稲荷神社の忠魂碑2

登戸稲荷神社の忠魂碑3

登戸稲荷神社の忠魂碑4

登戸稲荷神社の忠魂碑5

登戸稲荷神社の忠魂碑6


【登戸稲荷神社の句碑】
内容から社殿を再建した時に詠んだ句のようです。五・七・五の定型ですが季語がない無季俳句(俳諧)です。

登戸稲荷神社の句碑1

登戸稲荷神社の句碑2


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