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善立寺(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

龍燈山 善立寺(→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、平安時代初期に慈覚大師円仁が創建したという寺伝をもつ日蓮宗寺院で、日蓮宗の開祖日蓮が最期の20日間を過ごした池上兄弟の館跡に創建された池上本門寺(→東京都大田区池上)の末寺の1つです。
ただ、寺伝は伝承の域を超えず、史料上の確実な創建年代として江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』足立郡登戸村の条によりますと、戦国時代中期に日成(生誕年不詳~1576年)が開山し、江戸時代前期に江戸幕府による日蓮宗不受布施派への弾圧により廃寺になったものの、日徳という僧によって再興されたということです。再興の頃には創建時の堂宇は喪失しており、本尊を安置した堂の他、中根壱岐守正朝の娘が建てた番神堂と、岩石の上に約27cmの宝冠をつけた女神像を祀った七面堂があったと書かれています。

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『新編武蔵風土記稿』足立郡登戸村善立寺の条

村の巽(→南東)の方にあり、日蓮宗池上本門寺の末、龍燈山と号す、開山日成天正四年(→1576年)二月寂すといへり、住僧の話に当時は慈覚大師(→円仁)の創立にて古寺なりき、日成より第十世の時布受布施の罪によりて一旦廃寺となりしを、日徳と云(いう)僧これを再興せり、旧(ふる)くより伝へしものは皆失ひ、纔(わずか)に天正十七年(→1589年)八月源貞と書せる縁起あり、その縁起の内(うち)考證(こうしょう)とすべきこと無ければ載せず、客殿七間に六間半西向本尊を安せり。
番神堂 門を入つ左にあり、わづかなる堂なり。中根壱岐守が姫の起立なりと云(いう)
七面堂 番神堂の並(ならび)にあり、二間に一間半、拝殿二間に三間、神像女体法冠を戴(いただ)き岩石の上に踞(きょ)す、長九寸余(→約27cm)

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訪問した時は大規模な改修工事中で大型の重機が出入りしていました。境内には観音像や地蔵群の他、「登戸(のぼりと)小学校発祥之地」の石碑や江戸時代に起こった水争いを記す「供養塔と水争い」の説明版が建てられています。

【善立寺の入口】
善立寺の入口1

善立寺の入口2

善立寺の入口3

善立寺の入口4

善立寺の入口5

善立寺の入口6


【善立寺の本堂】
善立寺の本堂1

善立寺の本堂2

善立寺の本堂3

善立寺の本堂4

善立寺の本堂5

善立寺の本堂6

善立寺の本堂7

善立寺の本堂8

善立寺の本堂9

善立寺の本堂10


【善立寺の七面堂】
善立寺の七面堂1

善立寺の七面堂2

善立寺の七面堂3

善立寺の七面堂4

善立寺の七面堂5

善立寺の七面堂6

善立寺の七面堂7

善立寺の七面堂

善立寺の七面堂9


【善立寺の三十番神堂】
善立寺の三十番神堂1

善立寺の三十番神堂2

善立寺の三十番神堂3


【善立寺の観音像・地蔵群・石碑】
善立寺の石像・石碑1

善立寺の石像・石碑2

善立寺の石像・石碑3

善立寺の石像・石碑4

善立寺の石像・石碑5

善立寺の石像・石碑6

善立寺の石像・石碑7

善立寺の石像・石碑8

善立寺の石像・石碑9

善立寺の石像・石碑10

江戸時代中期の享保四年(→1719年)の年号が彫られています。8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われていた時期です。

【「供養塔と水争い」の碑】
善立寺の碑1

善立寺の碑2

善立寺の碑3


【登戸小学校発祥之地の石碑】
善立寺の碑4

善立寺の碑5

川崎市立登戸(のぼりと)小学校は善立寺の境内の堂宇を仮校舎を前身とする、来年創立150周年を迎える川崎市内でも古い小学校の1つです。


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