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修廣寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)は、川崎市発行の『麻生の神社・仏閣』によると、室町時代の1443(嘉吉3)年に僧の恵俊(えしゅん)が片平村の夏蒐丘に夏蒐山 台廣寺を創建したところから始まる曹洞宗寺院です。戦国時代に高峯山 天寧寺(→東京都青梅市根ヶ布1丁目)の住職・松潤玄秀が現在地に移し、寺号を修廣寺と改めたようです。

修廣寺の歴代住職は麻生区内や隣接する東京都町田市に多くの曹洞宗寺院を開山し、江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の頃)から寺領3石9斗を拝領して近郷に8つの末寺(→現在は6つ)をもつ本山寺院として栄えました。以前ご紹介した芳林山 戒翁寺(→神奈川県川崎市麻生区早野)も修廣寺住職(→3世玄頓)が開山した寺院の1つです。

江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡小机領片平村の条には次のように記されており、『麻生の神社・仏閣』と由緒に相違が見られます。

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片平村
修廣寺
境内御朱印(→幕府が安堵した寺領)の内、村の東にあり、禅宗曹洞派、多摩郡根ヶ布村天寧寺末、夏刈山と号す、昔は村内寺台にありしを、いつの頃にや此所(このところ)へ移せり、客殿九間に七間半東向(むき)なり、本尊釈迦坐像にして長(ながさ)八寸(→約24cm)(ばかり)なるを安せり、開山松潤玄秀は譫語集(せんごしゅう)に見ゆ、大永四年(→1524年)に寂す。

稲荷社 二カ所共に境内にあり。

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【修廣寺の山門】
修廣寺の山門1

修廣寺の山門1

修廣寺の山門2

修廣寺の山門0

修廣寺の山門5

修廣寺の山門3

修廣寺の山門4

修廣寺の山門7

修廣寺の山門8

修廣寺の山門9



【修廣寺の地蔵群】
江戸時代前期の「元禄十一年」(→1698年)の年号が彫られた地蔵があります。犬公方(いぬくぼう)こと5代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代です。

修廣寺の地蔵群1

修廣寺の地蔵群2

修廣寺の地蔵群3

修廣寺の地蔵群4

修廣寺の地蔵群5

修廣寺の地蔵群6



【修廣寺の仁王門】
修廣寺の仁王門1

修廣寺の仁王門2

修廣寺の仁王門3

修廣寺の仁王門4

修廣寺の仁王門5

修廣寺の仁王門6

修廣寺の仁王門追加



【修廣寺の本堂】
修廣寺の本堂1

修廣寺の本堂2

修廣寺の本堂3

修廣寺の本堂4

修廣寺の本堂5

修廣寺の本堂追加1
修廣寺の本堂追加2

修廣寺の本堂追加4

修廣寺の本堂追加3

修廣寺の本堂0



【修廣寺の道元像】
修廣寺の道元像1

修廣寺の道元像2

修廣寺の道元像3

修廣寺の道元像4

修廣寺の道元像5

修廣寺の道元像6



【修廣寺の寺務所】
修廣寺の寺務所


【修廣寺の水子地蔵】
修廣寺の水子地蔵1

修廣寺の水子地蔵2

修廣寺の水子地蔵3

修廣寺の水子地蔵4

修廣寺の水子地蔵6

修廣寺の水子地蔵7

修廣寺の水子地蔵8


修廣寺は、明治時代初期の1872(明治5)年には学制による片平村で初めての公立学校「片平学舎」が開かれた場所でもあります。猛暑を避けて水子地蔵の台座の上でぐったりと横たわっていた猫が、学舎があった堂宇跡でゴロゴロしていました。修廣寺で飼われている猫らしく人懐っこくてとても癒されます。

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↓↓芳林山 戒翁寺について


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