東福寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました
初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺で江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領9石5斗の寺領を拝領した真言宗豊山派寺院です。王禅寺と同じく「三つ葉葵」を寺紋とし、境内には弘法大師ではなく新義真言宗の始祖・興教大師(こうぎょうだいし)の坐像があります。江戸時代までは先日ご紹介した市ヶ尾杉山神社(→当時は杉山社)の別当寺として祭祀を司っていました。
江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡市ヶ尾村の条には次のように記されています。
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東福寺
境内御朱印(→幕府が安堵した寺領)、村の南方にあり、新義真言宗、郡内王禅寺村王禅寺末、初割山永寿院と号す、慶安二年(→1649年)八月二十四日、寺領九石五斗の御朱印を賜(たま)へり、其(その)文に観音堂領先規御寄附に任の由を載られたれば、境内観音堂は古き世よりありしものにて、当寺は彼(か)の堂の別当寺なりしならん、開山開基詳(つまびらか)ならず、客殿八間に七間半西向(にしむき)なり、元の堂は門前にありしが、いつの頃にや今の所へ引うつせり、本尊大日坐像長(ながさ)一尺五寸(→約45.5cm)許(ばかり)なるを安ず、其(その)作を伝えず。
観音堂
客殿に向(むかい)て左の方にあり、堂は三間半南向(みなみむき)なり、此(この)十一面観音像は立像にて長(ながさ)一尺四寸(→約42.42cm)許(ばかり)なるを安す。
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【東福寺の入口】
江戸時代中期の「享保十一年」(→1726年)の年号が彫られた石像が祀られています。8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われていた頃です。




【東福寺の境内】












【東福寺の興教大師像】
興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁上人(かくばんしょうにん)は平安時代中期の1095(嘉保2)年に肥前国藤津荘(→佐賀県鹿島市)に生まれ、高野山から根来に移り真言教学を再興させ、のちに真言宗中興の祖と仰がれ新義真言宗の始祖として知られる人物です。

【東福寺の石造物】



江戸時代前期の「延宝六年」(→1678年)の年号が彫られています。4代将軍徳川家綱(いえつな)はこの翌々年に死去し、犬公方(いぬくぼう)こと徳川綱吉が5代将軍に就任します。




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↓↓「東の高野山」星宿山 蓮華蔵院 王禅寺について
↓↓市ヶ尾杉山神社について


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