朝光寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました
白玉山 士峰院 朝光寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、戦国時代中期に上原勘解由左衛門(うえはら かげゆざえもん 誕生年不詳~1548年)が開基、僧の碧峯東全(誕生年不詳~1546年)が開山した曹洞宗寺院です。院号の士峰院は開基した上原勘解由左衛門の妻の法名「士峰院盛山浄栄」から採られたようです。禅宗寺院では普遍的な釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀っています。
江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領6石5斗を拝領していますが、玉雄山 宝泉寺(→神奈川県藤沢市遠藤)の末寺だったようです。昨日ご紹介した真言宗豊山派寺院の初割山 永寿院 東福寺は徒歩5分ほどの場所にあります。
江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡市ヶ尾村の条には次のように記されています。
*******************************
朝光寺
境内御朱印地(→幕府が安堵した寺領)の内、村の南によれり、禅宗曹洞派、相模国高座郡遠藤村宝泉寺末、白玉山士峰院と号す、慶安二年(→1649年)八月二十四日寺領六石五斗の御朱印を賜ふ、開山碧峯東全天文十六年(→1547年)十一月十七日寂す、開基は当村の名主新五兵衛が先祖、上原勘解由左衛門にて、此人(このひと)は天文十七年(→1548年)十一月卒す、法諡を朝光寺法山道念と云(いう)、又(また)勘解由左衛門が妻の法諡を士峯院盛山浄栄と云(いう)、天文七年(→1538年)六月十六日卒す、此(この)法諡によつて当寺の院号をつけしにや、元は今の門前にありしを享保(→1716年~1736年)の頃ここに移せりと云(いう)。
白山祠
客殿に向(むかい)て左の方にあり、東向(ひがしむき)なり。
第六天祠
客殿の後丘上にあり、坤向(つちむき→西南)なり。
上原勘解由左衛門墓
客殿の後にあり、五輪の塔なり、文字は磨滅して読(よむ)べからず、傍に松の大樹あり、此辺(このへん)に古碑十五基あれど石理砕けて何(いず)れも全き(→完全な)ものあらざれば読(よみ)がたけれど、ただ其内(そのうち)延徳四年(→1492年)、応永二十九年(→1422年)など書し碑あり。
寺宝
鎗一筋、上原勘解由左衛門持(もち)しよしを伝えり、長(ながさ)六七寸(→約2ⅿ)ばかり、総体錆を生じて鉄色をみるべからず。
*******************************
上原勘解由左衛門が活動していた時期は、小田原北条氏による相模・武蔵平定が為されていたので、彼は北条一門が小机城主を務める「小机衆」を構成する地侍として鎗を振るっていたのでしょう。
【朝光寺の山門】












【朝光寺の本堂】










【朝光寺の境内】







山門・本堂・境内ともに改築されており、『新編武蔵風土記稿』に記された白山祠や第六天祠・十五基の古碑などは見つかりませんでした。


スポンサーサイト

コメント