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西方寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

補陀洛山 安養院 西方寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は鎌倉時代初期の1190(建久5)年に、東大寺別当の勝賢僧正が現在の霊鷲山 感応院 極楽寺(→神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目)の場所に開山した真言宗単立寺院です。1219(承久元)年に北条重時(→北条義時の3男)が極楽寺を中興開基すると西方寺堂宇は極楽寺境内に移されたようです。極楽寺・西方寺は1333(元弘3)年5月の鎌倉幕府(北条氏)滅亡後も鎌倉公方足利氏及び関東管領上杉氏に保護されています。

しかし、戦国時代初期の長享の乱(1487年~1505年→関東管領上杉氏の内紛)で相模・武蔵守護の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏が没落して極楽寺が衰退したため、1495(明応5)年に西方寺は現在地に移転して僧の継真が中興開基しました。江戸時代には本山・末寺の制により瑞雲山 本覚院 三會寺(→神奈川県横浜市港北区鳥山町)の末寺となりますが、江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領6石7斗を拝領し、新羽杉山神社の別当寺も務めました。

西方寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡新羽村の条に次のように記されています。

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新羽村
西方寺
境内、四段五畝、御朱印地(→江戸幕府より拝領した寺領)の内、村の中央より少(しばら)く北にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺(→神奈川県港北区鳥山町)末、補陀洛山と号し、安養院と称す、客殿九間に八間東向(ひがしむき)なり、本尊弥陀坐像にて長(ながさ)二尺(→約60cm)あまり、慈覚大師(→円仁)の作なりと云(いう)伝へり、開山継真永禄四年(戦国時代中期→1561年)正月朔日遷化す、慶安二年(江戸時代前期→1649年)高六石七斗を弥陀として賜はれり。

観音堂
三間に三間余南向(みなみむき)なり、境内に入(はいり)右の方にあり、十一面観音は長(ながさ)三尺(→約90cm)ばかりの立像なり。

八幡社
観音堂の丘上にあり、神体は木の坐像長(ながさ)六寸(→約18cm)あまり。

天神社
観音堂の並(ならび)にあり、これも木の坐像長(ながさ)六寸(→約18cm)(ばかり)

鐘楼
観音堂の前にあり。

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【西方寺の参道】
西方寺の参道1

西方寺の参道2
西方寺の参道3
西方寺の参道4

西方寺の参道5

西方寺の参道6

西方寺の参道7

西方寺の参道8

西方寺の参道9



【西方寺の山門】
西方寺の山門1

西方寺の山門2

西方寺の山門3

西方寺の山門4

西方寺の山門5

西方寺の山門6

西方寺の山門7

西方寺の山門8

西方寺の山門9


【西方寺の本堂】
西方寺の本堂1

西方寺の本堂2

西方寺の本堂3

西方寺の本堂4

西方寺の本堂5

西方寺の本堂6

西方寺の本堂7

西方寺の本堂8

西方寺の本堂10


西方寺の本堂11

西方寺の本堂9



【西方寺の本尊】
西方寺の本尊2

西方寺の本尊3

西方寺の本尊5



【西方寺の観音堂(大悲閣)】
西方寺の観音堂1

西方寺の観音堂2

西方寺の観音堂3

西方寺の観音堂4

西方寺の本尊1

西方寺の観音堂5

西方寺の観音堂6

西方寺の観音堂9

西方寺の観音堂10

西方寺の観音堂9

西方寺の観音堂11

西方寺の観音堂12



【西方寺の稲荷神社】
西方寺の稲荷神社1

西方寺の稲荷神社2

西方寺の稲荷神社3



【西方寺の境内・庫裏】
西方寺の境内3

西方寺の境内1

西方寺の境内2

西方寺の境内4

西方寺の境内5

西方寺の境内6



【西方寺の梵鐘】
西方寺の梵鐘1

西方寺の梵鐘2

西方寺の梵鐘3


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↓↓霊鷲山 感応院 極楽寺について


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