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泉谷寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、鎌倉時代後期の元亨年間(1321年~1324年)に本覚院として創建された寺院を、戦国時代前期の1523(大永3)年に北条氏綱の家臣・二宮織部正(にのみやおりべのじょう)が父親の菩提のため見誉上人を招いて泉谷寺として中興開基したと伝わる浄土宗寺院です。現在は横浜市港北区ですが江戸時代には都筑郡・橘樹郡の郡境にあり、本堂は橘樹郡、庫裏は都筑郡にありました。

泉谷寺が開基された1523(大永3)年の6月~9月の間に、伊勢氏綱(→伊勢宗瑞の子、北条氏綱)は伊勢名字から北条名字に改姓を行い小田原北条氏が誕生しました。伊勢名字の史料上の終見がこの年の6月12日で、北条名字の初見が9月13日であることから時期が判明しています。改姓の意味は、相模守・武蔵守として相模国・武蔵国支配を行っていた鎌倉幕府執権北条氏の後裔であることを称して武略・経略によって獲得した相模一国に対する正当な支配者であることを主張する所にあったとされています。これは室町時代の相模・武蔵支配者である扇谷(おうぎがやつ)上杉氏に対抗するためでもありました。小田原北条氏は相模・伊豆の寺社再建・再興も相模を正当に支配する「相州太守」が主催するものとして次々に行っています。

この時期の小机はすでに小田原北条氏の版図に組み込まれており、小机城主として北条氏一門が配され、北条氏の軍事力の中核として小机衆が編成されました。泉谷寺を中興開基した二宮織部正も北条氏に臣従して小机衆を構成した武士の1人でした。

江戸時代の泉谷寺は江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領15石を拝領し、近隣に多くの末寺を持つ中本寺格の寺院となりました。一昨日紹介した亀甲山 本覚院 専念寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)も泉谷寺の末寺の1つです。泉谷寺自身は本山・末寺の制により徳川将軍家の菩提寺の1つ三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の末寺でした。浄土宗総本山の知恩院(→京都府京都市東山区林下町)に属していた時期もあったようです。

泉谷寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡小机村の条に次のように記されています。

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小机村
泉谷寺
村の西南字泉谷にあり、浄土宗京都知恩院の末山なり、松亀山本覚院と号す、寛永十九年(江戸時代前期→1642年)六月十八日寺領十五石の御朱印を賜ひしより、今にかはらずと云(いう)、されど其文によれば先規の如く寄付せられしよしを載す、もとより古き寺院にて、開山見誉は弘治二年(戦国時代中期→1556年)八月二日寂せり、開基は二ノ宮織部正と云人(いうひと)なりと村の記録にあり、寺にては大永三年(戦国時代中期→1523年)北条氏綱の開基といへり、氏綱の朱印もありしが火災にかかりて失せり、見誉は高徳(→富裕)の人にて、後奈良院(→後奈良上皇)の勅によりて飯沼の弘経寺(→茨城県常総市豊岡町)へ転せり、三代目看誉鎌倉光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座)へ移住せり、元和八年(江戸時代前期→1622年)正月七日火災に什物旧記皆失せり、此寺郡界に跨(またが)りて、庫裏(くり→住職の邸宅)の方は都筑郡に属し、本堂の方は橘樹郡なり、故に寺にては都筑郡に属すともいへり。

鐘門
門を入(はいり)て左の方にあり、二間四方銘文あり、左の如し。

八幡社
門を入て左にあり、境内の鎮守なり二間に二間半の社なり、神体は木にて刻めり長(ながさ)五寸(→約15cm)(ばかり)、弁天及び稲荷を相殿とす、前に鳥居を立(たて)、両柱の間五尺(→約150cm)(ばかり)

観音堂
是も同辺(おなじあたり)にあり、三間四方木の立像なり長(ながさ)二尺(→約60cm)余、慈覚大師(→天台宗の高僧円仁)の作なりと云(いう)

地蔵堂
是も同辺(おなじあたり)にあり、石地蔵三尺(→約90cm)ばかりなるを安ず、わづかの小堂なり。

西に向ひてたてり、右の方は高き地にして左の方は耕地なり、道の左右に松と桜とを植(うえ)たること数十株、花の頃に至れば風景甚(はなはだ)よし、故に此(この)門前を土人(→住民)桜大門と云(いう)、此門前そこはく行けば冠木門あり、前に石階十一級あり。

通用門
お案じならび右の方にあり北へ向(むか)へり。

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【泉谷寺の参道】
泉谷寺の参道1

泉谷寺の参道2

泉谷寺の参道3

泉谷寺の参道4

泉谷寺の参道5



【泉谷寺の山門】
泉谷寺の山門1

泉谷寺の山門2

泉谷寺の山門3

泉谷寺の山門4

泉谷寺の山門5

泉谷寺の山門6

泉谷寺の山門7

泉谷寺の山門8

泉谷寺の山門0



【泉谷寺の本堂】
泉谷寺の本堂1


泉谷寺の本堂3

泉谷寺の本堂4

泉谷寺の本堂5

泉谷寺の本堂6

泉谷寺の本堂7

泉谷寺の本堂8

泉谷寺の本堂9



【泉谷寺の境内】
泉谷寺の境内1

泉谷寺の境内2

泉谷寺の境内3

泉谷寺の境内4

泉谷寺の境内5

泉谷寺の境内6



【泉谷寺の観音堂】
泉谷寺の観音堂1

泉谷寺の観音堂2

泉谷寺の観音堂8



【泉谷寺の涅槃堂】
泉谷寺の観音堂3

泉谷寺の観音堂5

泉谷寺の観音堂6

泉谷寺の観音堂7



【泉谷寺の地蔵尊】
泉谷寺の地蔵尊1

泉谷寺の地蔵尊2

泉谷寺の地蔵尊3

泉谷寺の地蔵尊4

泉谷寺の地蔵尊5



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泉谷寺の境内は樹木が多いぶん、本堂・観音堂・山門と、至る所に大きな蜘蛛がこれまた大きな巣を張る「蜘蛛寺」でした。山門近くの彼岸花では青い蝶が蜜を吸っていました。彼岸花は曼珠沙華や地獄花とも呼ばれ、有毒植物としても知られています。

泉谷寺の彼岸花1

泉谷寺の彼岸花2


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