子之辺神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました
子之辺神社(このべじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、江戸時代後期の1846(弘化3)年に別当寺として祭祀を司った高野山真言宗寺院の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の住職空弁が再建したと伝わります。創建年代や祭神は不詳ですが、1955(昭和30)年に著された『都筑の丘に拾ふ』には「子野辺」と「此野辺」の社号が使われているとあるので、「ねのべ」ではなく「このべ」と読むことが分かります。「野」が「之」に置きかわった時期も定かではありませんが、1955(昭和30)年以降のことであることは確かです。
子之辺神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡恩田村の条に「子野辺社」として次のように記されています。
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恩田村
子野辺社(→現在の子之辺神社)
村の西より少(しばら)く北のほうによれり、上屋一間半に二間半、内に稲荷を相殿として小祠を置く、神体は石剣に似て長さ二尺(→約60cm)ばかり、半(なかば)より折(おれ)てあり、円径三寸(→約9cm)ばかりなり、是も徳恩寺持(もち)、以下同じ。
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【子之辺神社の鳥居】



【子之辺神社の参道】









【子之辺神社の社殿】









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↓↓江戸時代に別当寺だった摩尼山 延寿院 徳恩寺


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