威光寺(東京都稲城市)を訪問しました
草香山 小沢院 威光寺(→東京都稲城市矢野口)は1643(寛永20)年以前に創建された真言宗豊山派寺院で、1675(延宝3)年に穴澤天神社(→東京都稲城市矢野口)の別当寺となり祭祀を司りました。創建時の本堂は江戸時代中期の火災で焼失し、明治時代初期の1870(明治3)年に改築されました。
威光寺は江戸時代の本山・末寺の制により真言宗豊山派寺院の岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市坂浜)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。
威光寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡矢野口村の条に「(穴澤神社の)別当威光寺」として次のように記されています。
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矢野口村
別当威光寺
除地(→諸税が免除された土地)山二千百坪、字谷戸にあり、草厚山と号す、新義真言宗、板浜村高勝寺(→東京都稲城市坂浜)末、開山の名伝へず、第二世恵範は寛永廿年(江戸時代前期→1643年)四月寂せり、この比(ころ)はいまだ別当寺とはならざりしが、もとより別に梅元坊(→穴澤天神社の別当を務めた草庵の住職)と云(いう)別当ありしに、いかなる故か廃せしにより、威光寺かはりて別当寺となりしと云(いう)、これ延宝三年(江戸時代前期→1675年)六月のことなり、本堂五間に七間南向(みなみむき)なり、本尊大日木の坐像にして長(ながさ)は三尺(→約90cm)ばかりなり。
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【威光寺の参道】




【威光寺の山門】


【威光寺の本堂】










【威光寺の弁天堂洞窟】
現在は崩落の危険があるため通行止めとなりましたが、かつては新東京百景の1つにも選ばれた弁天洞窟があります。洞窟は横穴墓(→横穴式の古墳)をもとに掘り拡げられたもので弁財天・大黒天などが安置されています。









【威光寺の庚申塔・石仏群】
稲城市の市指定文化財で市内で2番目に古い1684(貞享元)年のもので、六角の石幢形は一般的な庚申塔とは異なり貴重なものといえます。





【威光寺の境内】





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↓↓江戸時代にに威光寺が祭祀を司った穴澤天神社


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