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長福寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

瑠璃光山 薬王院 長福寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は大日如来を本尊とする真言宗智山派寺院です。創建の詳細は不詳ですが、過去帳(→故人の俗名・戒名・死亡年月日などを記した帳簿)に戦国時代中期の1554(天文23)年7月18日に死去した良僅という僧侶の名が記されているため、戦国時代には長福寺、もしくは前身となる寺院が建立されていたことが分かります。

1554(天文23)年頃のこの辺りは小田原北条氏(→当主は3代北条氏康)の領国で、『小田原衆所領役帳』によると後に北条氏を背いて安房里見氏のもとに逃れた太田康資(→太田資高の子)の所領25貫のうちの1貫200文ぶんが存在しました。太田康資の遁走後は小机領(→当時の小机城主は北条氏康4男の北条氏堯)に編入されています。

江戸時代には本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。

長福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡上小田中村の条に次のように記されています。

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上小田中村
長福寺
村の西の方にあり、瑠璃光山薬王院と号す、新義真言宗にて同郡小杉村西明寺の末、開山は詳(つまびらか)ならずと云(いう)、されど古き寺院なりと見えて過去帳にしるせる世代の内に法印良僅と云(いう)あり、此人(このひと)天文二十三年(戦国時代中期→1554年)七月十八日寂せしよしのす、本尊は大日坐像一尺二寸(→約36cm)ばかり、作しれず、客殿五間に四間なり。

薬師堂
境内に入(いり)右の方にあり、除地(→諸税が免除された土地)五畝、堂は一間四方、薬師は行基(→東大寺の盧舎那大仏造立に貢献した奈良時代の高僧)の作にて秘仏と云(いう)

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【長福寺の山門】
長福寺の山門1

長福寺の山門2

長福寺の山門3

長福寺の山門4



【長福寺の本堂】
長福寺の本堂2

長福寺の本堂3

長福寺の本堂4

長福寺の本堂5

長福寺の本堂6

長福寺の本堂7

長福寺の本堂8

長福寺の本堂9

長福寺の本堂10

長福寺の本堂11



【長福寺の内陣】
長福寺の内陣1

長福寺の内陣2

長福寺の内陣3

長福寺の内陣4



【長福寺の薬師堂】
長福寺の薬師堂5

長福寺の薬師堂6

長福寺の薬師堂7

長福寺の薬師堂8

長福寺の薬師堂9

長福寺の薬師堂2

長福寺の薬師堂3

長福寺の薬師堂4



【長福寺の石仏群】
長福寺の薬師堂1

長福寺の薬師堂10

長福寺の薬師堂11

長福寺の石仏群1

長福寺の石仏群2

長福寺の石仏群3

長福寺の石仏群4

長福寺の石仏群5



【長福寺の境内】
長福寺の本堂1

長福寺の境内2

長福寺の境内3

長福寺の境内1

長福寺の境内4


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