小杉神社(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました
小杉神社(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は、創建の詳細は残されていませんが、江戸時代後期の記録には前身となる神明社境内に鎌倉時代末期の1331(元徳3)年の断碑(→壊れた石碑)があると記されているので、鎌倉時代末期には神明社があったことが分かります。
江戸時代、武蔵国橘樹郡小杉村と呼ばれていたこの周辺には、鎮守三社として小杉社・神明社・総社権現がありました。このうち総社権現は江戸時代前期の正徳年間(→1711年~1716年、6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継の頃)に多摩川の決壊により社殿が流され神明社に合祀されました。前述の「元徳3年の断碑」は神明社の項目に記されているので、現在の小杉神社にはないようです。
神明社が小杉社に合祀され「小杉神社」となったのは、日本がサンフランシスコ平和条約に調印して主権の回復が決定した1951(昭和26)年のことです。
神仏習合の頃は龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の境内地続きに小杉社があり、その塔頭正覚院が別当寺として祭祀を司っていましたが、正覚寺が廃院となった後は西明寺が引き継いだと記されます。
〖主祭神〗
・天照大神(あまてらすおおみかみ)→神明社の祭神
・日本武尊(やまとたけるのみこと)→杉山社の祭神
〖祭神〗
・菅原道真(すがわらのみちざね)→境内社の祭神
小杉神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡小杉村の条に「小杉社」「神明社」として次のように記されています。
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小杉村
小杉社
西明寺の境内つづきにあり、村内鎮守三社の一つなり、いつの頃の勧請なりやその年月を伝へず、例祭は九月二十九日隔年に行へり、村内西明寺の門徒(→塔頭)正覚院の持(もち)なりしが、廃院の後本寺(→西明寺)の持(もち)となれり。
神明社
小名山谷にあり、神明の例祭隔年九月二十九日、村民の持(もち)、相殿総社権現、神体は木の立像長(ながさ)一尺五寸(→約45cm)束帯の状なり、この社は正徳(江戸時代前期→1711年~1716年、6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継)の頃迄は村のはづれ多磨川(→多摩川)の傍にありて、則(すなわち)村内成就院の持なりしが、多磨川の岸(きし)缺(かけ)崩れ其地を失ひたれば、神明の社に合(あわ)せ祭れりと、この二社に前の一社(→小杉社)を合(あわ)せて村内三社の鎮守とよべり、元徳三年(鎌倉時代末期→1331年、16代執権北条守時、天皇は後醍醐)の頃の断碑一枚社地にありここに伝(つたう)るゆへんをしらす。
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【小杉神社の鳥居】




【小杉神社の社殿】








【小杉神社の境内社(小杉天満宮)】





【小杉神社の小祠】


【小杉神社の境内】








(神楽殿)


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
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↓↓江戸時代に祭祀を司った龍宿山 金剛院 西明寺
↓↓江戸時代に総社権現の別当寺を務めた恵日山 成就院


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