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港の見える丘公園(神奈川県横浜市中区)を訪問しました

横浜高等学校の校歌に「東洋一の商港 横浜」とありますが、港の見える丘公園(→神奈川県横浜市中区山手町)は横浜港を見下ろす小高い丘にある公園で、横浜ベイブリッジを望む絶好のビューポイントとなっています。園内には横浜市イギリス館イングリッシュローズの庭フランス山旧フランス領事館公邸遺構などがあり、異国情緒ゆたかな開港地横浜を感じられる場所の1つといえます。また、港の見える丘公園は、スタジオジブリの映画『コクリコ坂から』の舞台となったことでも知られ、作中でも掲揚された国際信号旗UW旗とモニュメントが設置されています。

『コクリコ坂から』では、ヒロインの松崎海(通称メル)毎朝、横浜港を行き交う船舶に向けて「安全な航行を祈る」という意味になる国際信号旗UW旗を掲げます。タグボートで高校に通う風間俊がその旗を船上から見て信号旗を掲げて返信するシーンもありますが、国際信号旗とは、国際海事機関(IMO)が定める「国際信号書」に則った世界共通の旗のことで、旗を掲揚することでコミュニケーションを図ったり、様々なメッセージ(→例えば「津波注意」など)を伝えることができます。




国際信号旗にはZ旗というものもあります。日露戦争の最終決戦となる1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦において、連合艦隊(→日本海軍の戦時編成)旗艦の戦艦「三笠」のマストにZ旗が掲げられ「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」というメッセージを発信しました。通常、Z旗は「引き船(→タグボート)を要請します。」という意味です。しかし、連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、Zがアルファベット最後の文字であることから「この戦いで敗れれば日本はもう後がない」という意味合いを込めて掲げたといいます。

太平洋戦争においても、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃、1943(昭和18)年6月19日~20日のマリアナ沖海戦、1944(昭和19)年10月20日~10月25日のレイテ沖海戦(→捷一号作戦として)の3回、味方の士気を鼓舞するためにZ旗が掲げられました。東郷平八郎に倣い、国家存亡の戦いと位置づけた海戦で日本海海戦を吉例とし、その武運にあやかろうとしたのでしょう。


【『コクリコ坂から』の舞台(UW旗)】
港の見える丘公園UW旗
(貴船の安全の航行を祈ります)


【『コクリコ坂から』のモニュメント】
コクリコ坂よりのパネル1

コクリコ坂よりのパネル3

コクリコ坂よりのパネル2

コクリコ坂よりパネル

コクリコ坂よりのパネル4

コクリコ坂よりのパネル5
5年前はいたずらされず綺麗なモニュメントでした。

コクリコ坂より1
(映画『コクリコ坂から』/画像提供: スタジオジブリ)
コクリコ坂より1
(映画『コクリコ坂から』/画像提供: スタジオジブリ)
コクリコ坂より3
(映画『コクリコ坂から』/画像提供: スタジオジブリ)
『コクリコ坂より』0
(映画『コクリコ坂から』/画像提供: スタジオジブリ)



【東洋信号通信社のUW旗】
UW旗1

UW旗2

UW旗3
(貴船の安全の航行を祈ります)



【港の見える丘公園展望台より】
横浜ベイブリッジ1
(横浜ベイブリッジ)
横浜ベイブリッジ2
(横浜ベイブリッジ)
横浜ベイブリッジ3
(首都高速湾岸線)

横浜港1
(横浜港)
横浜港2
(横浜港)

横浜駅方面1
(横浜駅方面)
横浜駅方面3
(横浜駅方面)



【KKRポートヒル横浜】
KKRポートヒル横浜



【「愛の母子像」】
愛の母子像1

愛の母子像2

愛の母子像3



【沈床花壇 香りの庭】
イングリッシュローズの庭



【フランス山と旧フランス領事館公邸遺構】
幕末期、アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアと締結した修好通商条約に基づき、1859(安政6)年6月2日に横浜港が開港され、外国人居留地が作られ貿易扱高の70%(→貿易相手はイギリスが1位、フランスが2位)を占め国際都市へと変貌していく横浜

一方で、輸出の急増により生糸などの生産が追い付かず国内の生糸価格が騰貴し、米価などの物価高騰にもつながりました。その結果、1862(文久2)年12月の長州藩士(→高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・井上馨ら)によるイギリス公使館焼打ち事件のような攘夷運動(じょういうんどう→外国人排斥運動)が、1860(万延元)年から1864(元治元)年にかけて続出しました。

そのため、イギリス・フランスは自国民の保護を名目に横浜居留地へ自国の軍隊を駐屯させることを幕府に認めさせました。港の見える丘公園の「フランス山」は、1863(文久3)年からフランス軍が駐屯を開始した場所であり、1875(明治8)年にフランス軍が撤退した後はフランス領事館の建設が予定され、1896(明治29)年に完成しました。

この時の領事館は1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で倒壊したため、1930(昭和5)年にスイス人の設計で再びフランス領事館が再建され太平洋戦争末期の空襲にも耐えましたが、戦後の1947(昭和22)年に火災(→放火)によって焼失しました。現在、その遺構が残されており、フランス領事館の歴史を伝えるパネルも展示されています。


フランス山1

フランス山2

旧フランス領事館公邸遺構1

旧フランス領事館公邸遺構12

旧フランス領事館公邸遺構13

旧フランス領事館公邸遺構2

旧フランス領事館公邸遺構3

旧フランス領事館公邸遺構4

旧フランス領事館公邸遺構5

旧フランス領事館公邸遺構6

旧フランス領事館公邸遺構9

旧フランス領事館公邸遺構10

旧フランス領事館公邸遺構11

旧フランス領事館公邸遺構8



【谷戸坂(やとざか)】
映画『コクリコ坂から』でヒロインの松崎海(通称メル)がたびたび歩いていた坂のモデルです。谷戸(やと)とは丘陵が浸食されて形成された谷状の地形のことで、坂が多い横浜には谷戸とつく地名があちこちにあります。保土ヶ谷(ほどが→神奈川県横浜市)・扇ヶ谷(おうぎがやつ→神奈川県鎌倉市)・谷津干潟(やつひがた→千葉県習志野市)などの地名に見られる「谷(や/やつ)」「谷津(やつ)」とは同義語です。

谷戸坂1

谷戸坂2

谷戸坂
(映画『コクリコ坂から』/画像提供: スタジオジブリ)


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↓↓国際信号旗「Z旗」と東郷神社


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