長津田宿常夜灯‐上宿(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました
長津田宿常夜灯(上宿)は、大石神社(→神奈川県横浜市緑区長津田町)の参道にある、江戸時代後期の1843(天保13)年に秋葉山講中が建立した常夜灯で、高さは240cmあります。
長津田宿は江戸時代に江戸城赤坂門から9里(→約36km)ほどの地点にあった宿場町で、大山阿夫利神社へと続く矢倉沢往還(→大山街道とも)沿いにありました。江戸時代後期にはお陰参り(→伊勢神宮への集団参拝)や大山詣(おおやまもうで→大山阿夫利神社への集団参拝)で街道沿いの宿場は賑わいをみせたといいます。
江戸時代後期は数年ごとに疫病が流行したため、人々は神仏や政治的に非業の死を遂げた人間(→御霊・怨霊)を祀り、病気の平癒や終息、不安解消を願って集団参拝するようになりました。特に民間において短期間に爆発的な信仰を集め、一定期間が過ぎると急速に衰退していった神を「流行神(はやりがみ)」といい、集団参拝する様々な講中が結成されました。
もっとも、江戸時代後期には寺領が少なく経済的基盤の不安定な寺院が持仏(じぶつ)などに現世利益的な霊験を付会(ふかい→こじつけ)して流行神(はやりがみ)に仕立て、信者を獲得して布施(ふせ→主に金銭)をまきあげるといったカルト教団的なものも現れました。
大山阿夫利神社(→神奈川県伊勢原市大山)がある大山は標高1252ⅿの山で、別名「雨降り山」とも呼ばれて古代より山岳信仰の対象として知られ、山頂からは縄文土器が発掘されています。大山阿夫利神社は平安時代前期の927(延長5)年に編纂された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう)にも記載されており、中世には大山寺(→現在の大山阿夫利神社)を拠点とする修験道(→大山修験)が盛んになり源氏や北条氏などの崇敬を受けました。
【長津田宿常夜灯】












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