平尾杉山神社(東京都稲城市)を訪問しました
平尾杉山神社(→東京都稲城市平尾)は鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社で、その中でも最も上流域にあるといわれています。創建年代は不詳ですが、神仏習合の頃の戦国時代前期の1492(延徳4)年に社殿を再建し、神体として「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年五月五日」と刻された不動明王の懸仏(かけぼとけ→鏡面に付けられた神像や仏像)が奉納されました。
しかし、この懸仏の神体は江戸時代末期の幕末期に失われ、現在は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)の木像が安置されています。
江戸時代には宝泉寺(→廃寺)が別当寺として祭祀を司り、幕末期の1855(安政2)年に社殿が改修されました。大正時代中期の1919(大正8)年、国の一村一社政策を受けて八坂神社と日枝神社が合祀されました。
〖祭神〗
・日本武尊(やまとたけるのみこと)
・弟橘媛(おとたちばなひめ)
・素戔嗚命(すさのおのみこと)
・猿田彦命(さるたひこのみこと)
平尾杉山神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡平尾村の条に「杉山社」として次のように記されています。
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平尾村
杉山社
除地(→諸税が免除された土地)、二段、村の中央にあり、此(この)地の鎮守なり、神体は鏡の如き銅物にて円径九寸六分、表に不動の像を鋳出し、裏に武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白、延徳二年(→1490年)壬午五月五日とみゆ、これ勧請の年月なるにや、按に延徳二年は庚戌なり、干支(えと)齟齬(そご→くいちがい)す、よりておもふに二は四の字にて、午は子の字の誤(あやまり)か、延徳四年壬子なるべし、本社はわづかなる造(つくり)にして、二間四方の覆屋あり、前に鳥居をたつ、例祭は九月廿八日也。
山王社
除地、七畝十五歩、小名原にあり、勧請の年代をしらず、小社にて覆屋あり、南向(みなみむき)なり、宝泉寺の持(もち)、このしもの三社もおなじき持(もち)なり。
八幡社
除地、十四歩、村の西にあり、小社なり、白幣を神体とす。
天神社
除地、五畝、字(あざ)大原にあり、小社にて覆屋あり、これも神体は白幣なり。
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【平尾杉山神社の鳥居】






【平尾杉山神社の狛犬】





(杉の神木)

【平尾杉山神社の参道】






【平尾杉山神社の拝殿】






【平尾杉山神社の本殿】








【平尾杉山神社の神輿庫・太鼓格納庫】




【平尾杉山神社の手水舎】



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