等覚院(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)は、開山開基の詳細は不詳ですが、安土桃山時代初期の1573(元亀4)年に中興された天台宗寺院です。地元では等覚院の名で親しまれています。
江戸時代には本山・末寺の制により浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。現在の本堂は、将軍継嗣問題と通商条約締結に揺れた幕末期の安政年間(→1854年~1860年)に再建され、山門(→仁王門)は明治時代前期の1882(明治15)年に整備されました。
本尊の不動明王像は秘仏として見ることができませんが、本尊を納めた厨子の前に川崎市の重要歴史記念物に指定されている木造薬師如来像が安置されています。この薬師如来像はもとは江戸の鎧島山 智泉院(→東京都中央区日本橋茅場町1丁目)の本尊として祀られていたものです。
江戸時代には赤城社(→現在の神木天満宮の前身)・五所権現社(→現在の長尾神社)の別当寺として祭祀を司りました。
等覚院は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡長尾村の条に次のように記されています。
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長尾村
等覚院
谷長尾の乾(いぬい→北西)にあり、天台宗深大寺の門徒、神木山長徳寺と号す、客殿五間に七間、坤向(つちむき→南西)、本尊不動、長(ながさ)一尺五寸(→約45cm)、立身の木像なり、開山開基を詳(つまびらか)にせず。
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【等覚院の山門】









【等覚院の本堂】








【等覚院の内陣・外陣】


















【等覚院の境内社(稲荷大明神)】










【等覚院の境内】

















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