神木天満宮(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
神木天満宮(しぼくてんまんぐう→神奈川県川崎市宮前区神木本町3丁目)は、創建年代等は不詳ですが神仏習合の時代には赤城社と呼ばれ、天台宗寺院の神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。赤城社の9月の例祭は五所権現社と呼ばれていた長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)と隔年で行われていたと記されます。
1868(明治元)年の神仏分離令により等覚院との別当関係が解消されます。明治時代後期の1907(明治40)年には国の一村一社政策を受けて赤城社は長尾神社に合祀されましたが、その際、境内社(摂社)の天満宮だけが合祀から漏れてこの地に残りました。
終戦直後、GHQ(→連合国軍最高司令官総司令部)のいわゆる「ポツダム勅令」(→ポツダム宣言受諾に伴い連合国軍最高司令官ダグラス=マッカーサーが発する命令)により国家神道が解体され、1945(昭和20)年12月28日に宗教法人令が施行されます。施行にともない当時の住民130戸の総意により「神木天満宮」として宗教法人化を申請・受理され、社殿が新築されました。
〖祭神〗
・菅原道真(すがわらのみちざね)
神木天満宮は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡長尾村の条に「赤城社」として次のように記されています。
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長尾村
赤城社
谷長尾の中央にあり、神体木像長(ながさ)一尺(→約30cm)許(ばかり)、是も村の鎮守なり、正月七日祭事あり、又九月十四日にも行はる、是等の祭事何(いず)れも五所権現と同じ、其中(そのなか)九月十四日の祭は五所権現と隔年に行へり、村内等覚院持(もち)。
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【神木天満宮の鳥居】



【神木天満宮の拝殿】





【神木天満宮の本殿】





【神木天満宮の祠(馬頭観音)】



【神木天満宮の祠(赤城大明神)】



二宮金次郎(二宮尊徳)像

【神木天満宮の境内】



【近くの鶴喉坂(つるがいざか)】



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↓↓江戸時代に別当寺であった神木山 等覚院 長徳寺
↓↓明治時代に赤城社を合祀した長尾神社


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