長尾神社(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました
長尾神社(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)は戦国時代中期の1549(天文18)年の創建とも伝わりますが、実際の創建年代は不明です。神仏習合の頃は神社の南側に5つの古塚(→五所塚)があることから五所権現社、または五所神社と呼ばれていました。長尾山 勝寿院 妙楽寺(→神奈川県川崎市多摩区長尾3丁目)が旧別当寺で、1868(明治元)年の神仏分離令により別当関係が解消されるまで祭祀を司りました。妙楽寺の他、神木山 等覚院 長徳寺(→神奈川県川崎市宮前区神木本町1丁目)も赤城社(→神木天満宮の前身)と隔年で五所権現社の祭祀を行ったという記録があります。
五所神社は、明治時代後期の1907(明治40)年に国の一村一社政策を受け赤城社を合祀し、その際に長尾神社と改称したようです。創建当時の祭神・神体は定かではありません。
〖祭神〗
・国常立命(くにのとこたちのみこと)→最初の神とされる
・大己貴命(おおなむちのみこと)→大国主命のこと
・大日孁貴(おおひるめのむち)→天照大神のこと
・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)→神武天皇の高祖父とされる
長尾神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡長尾村の条に「五所権現社」として次のように記されています。
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長尾村
五所権現社
河原長尾の南にあり、村内の鎮守なり、此辺を権現堂と唱へり、祭神及(および)勧請の年歴を詳(つまびらか)にせず、例祭正月五日なり、昔は流鏑馬の式を行ひしと云(いう)、今は僅(わずか)に其(その)かたはりを存(のこ)せり、射手二人介副(かいぞえ→サポート)二人にて、桃の弧竹の矢を以(もって)各一手づつを射る、土人(→地元の村民)は猶(なお)是を流鏑馬(やぶさめ)と唱ふ、此外(このほか)九月十四日にも祭をなせり、村内妙楽寺の持(もち)。
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〖長尾神社の射的祭(まとうさい)〗
流鏑馬(やぶさめ)の後継行事として毎年1月7日に五穀豊穣などを祈願して行われます。氏子の家から選ばれた幼児2名が稚児(ちご)となり、その介添人が稚児に代わって丸木の弓・しの竹で作った矢を、竹で編んだ直径約1.5ⅿの大きな的をめがけて射る行事です。長尾神社奉賛会によって続けられており、同様な行事は川崎市内に5ヶ所ありますが、座ったまま弓を射るののが長尾神社の射的祭の特色といえます。

射的祭(画像提供「タウンニュース」多摩区版)
【長尾神社の参道】



【長尾神社の鳥居】




【長尾神社の社殿】













【長尾神社の境内】














【境内からの景観】



(左前方に東京スカイツリーが見えます。)
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↓↓江戸時代に別当寺を務めた長尾山 勝寿院 妙楽寺
↓↓江戸時代に祭礼を行った神木山 等覚院 長徳寺
↓↓明治時代に長尾神社に合祀された赤城社(神木天満宮の前身)


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