長安寺(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
法林山 長安寺(→神奈川県川崎市多摩区菅生4丁目)は、京都にある渋谷山仏光寺(→京都府京都市下京区新開町)の末寺に属する浄土真宗仏光派寺院です。
創建年代の詳細は不詳ですが、戦国時代に小田原北条氏の家臣・間宮長安が無住となっていた寺を開基したと伝わります。間宮長安は、江戸時代中期の1774(安永3)年に前野良沢とともに最初の翻訳解剖書である『解体新書』を著した杉田玄白の先祖にあたります。開基の頃は浄土真宗大谷派に属したようです。
1590(天正18)年7月に小田原合戦で小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たした後、僧の法林院浄安が浄土真宗仏光寺派に中興開基しました。法林寺浄安は江戸時代前期の1612(慶長17)年11月28日に死去しているため、改宗はそれ以前であることが分かります。
本堂に残る古い喚鐘(かんしょう→小型の鐘)は、間宮長安の子孫(→杉田玄白の先祖)で稲毛領下菅生村の杉田甚兵衛夫婦ら7名が先祖の菩提を弔うために寄進したもので、江戸時代前期の1713(正徳3)年7月に江戸神田に住む鋳物師・今井信濃守によって作られました。
長安寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡下菅生村の条に次のように記されています。
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下菅生村
長安寺
蔵敷にあり、浄土真宗京都仏光寺末、当寺は山号なし、開祖法林院浄安は慶長十七年(江戸時代前期→1612年)十一月二十八日寂せり、ふるくよりもこの寺はありて東本願寺派(→大谷派)に属せしか、浄安のとき今の派となれり、故に此人(このひと)を開祖とせりと、本尊弥陀(→阿弥陀如来)立身にして長(ながさ)一尺五寸(→約45cm)ばかり。
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【長安寺の山門】







【長安寺の本堂】







【長安寺の内陣】




【長安寺の境内】










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