菅生神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
菅生神社(すがおじんじゃ→神奈川県川崎市宮前区菅生2丁目)は、鎌倉時代前期の1233(貞永2)年に、下菅生郷(しもすがおごう)蔵敷(ぞうしき)の鎮守として白幡八幡大神(→神奈川県川崎市宮前区平4丁目)の祭神を勧請して創建された神社です。1233(貞永2)年は鎌倉幕府3代執権北条泰時(やすとき)が、最初の武家法である御成敗式目を制定した翌年にあたり、創建当時は若宮八幡大神と称されました。
時代が下り江戸時代になると神職の小泉信濃が別当となり、以後小泉家が祭祀を司ったと記されます。小泉信濃は白幡八幡大神のほか複数の神主を兼ねた神職で、1600(慶長5)年9月の関ケ原合戦に向けて徳川軍本隊を率いて出陣した徳川秀忠のために禰宜舞(ねぎまい)を興行した人物として以前ご紹介した人物です。
明治時代末期の1910(明治43)年4月26日に国の一村一社政策を受けて近郷の「正八幡大神」「神明神社」「旭稲荷神社」「御嶽神社」など10社を合併して菅生神社と改称し、菅生全域の鎮守とされました。合祀された神社が多いので祭神のもにぎやかです。
〖祭神〗
・応神天皇(おうじんてんのう)→八幡神とされる
・神功皇后(じんぐうこうごう)→応神天皇の母とされる
・仁徳天皇(にんとくてんのう)→応神天皇の子とされる
・天照大神(あまてらすおおみかみ)→八百万の神々の最高位とされる
〖相殿〗
・玉依姫命(たまよりびめのみこと)→神武天皇の母とされる
・伊弉冉命(いざなみのみこと)→天照大神の母とされる
・大日孁貴(おおひるめのむち)→天照大神のこと
・大宮姫命(おおみやめのみこと)→天照大神の侍女とされる
・火産霊命(ほむすびのかみ)→火の神とされる
・大山祇命(おおやまつみのみこと)→山の神とされる
・猿田彦命(さるたひこのみこと)→いわゆる天狗
・事解男命(ことさかのをのみこと)→いわゆる熊野権現
・速玉男命(はやたまのをのみこと)→同じくいわゆる熊野権現
・太田命(おおたのみこと)→五十鈴川の地主神とされる
・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)→いわゆる稲荷神
・日本武尊(やまとたけるのみこと)→『古事記』の世界の英雄
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)→春日大社の祭神
※いずれも記紀神話によって創作された神々。
菅生神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡下菅生村の条に「八幡社」として次のように記されています。
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下菅生村
八幡社
蔵敷にあり、その地の鎮守なり、神体は木像にて長(ながさ)八寸(→約24cm)ばかり、鎮座の年歴詳(つまびらか)ならず、例祭年々九月十五日七坐の神楽あり、平(たいら)村神職小泉信濃が持(もち)なり。
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【菅生神社の鳥居】





【菅生神社の参道】







【菅生神社の社殿】















【菅生神社の境内社(稲荷社)】







【菅生神社の境内】













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〖初山(はつやま)の獅子舞〗
毎年10月の第1日曜日に菅生神社で行われ、2001(平成13)年に県指定無形民俗文化財に指定されました。獅子舞に使われる獅子頭3組のうち一番古い1組は江戸時代初期のものと推定され川崎市の市重要郷土資料となっています。
初山の獅子舞は、「剣獅子」「玉獅子」「巻獅子」と天狗面を付けた「幣負い(へいおい)」の4人で舞われる1人3頭形式で、隠れた雌獅子(めじし)を雄獅子(おじし)が探し回る「雌獅子隠し」のストーリーを持った舞で、地元の小中学生が演じています。初山の獅子舞は、地面を這うような低い姿勢で舞う点と古い時代の獅子舞によく見られる動きの素朴さが特徴といえます。



(写真提供:神奈川新聞社)

(写真提供:神奈川新聞社)
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↓↓小泉信濃が神主を務めた白幡八幡大神(当時は八幡社)


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