蓮乗院(神奈川県鎌倉市)を訪問しました
天照山 蓮乗院(れんじょういん→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)は、天照山 蓮華院 光明寺の塔頭(→大寺院の中にある末寺)の浄土宗寺院ですが、創建は光明寺よりも古く、もとは「蓮乗寺」という独立した密教寺院で、鎌倉時代前期の1242(寛元元)年に佐助ヶ谷(さすけがやつ)にあった蓮華寺(れんげじ)が材木座に移され光明寺となったのち、その塔頭になりました。
光明寺が移築されている期間、住職の良忠が蓮乗寺に寄留していたことから、以後の住職も塔頭となった蓮乗院に寄留してから光明寺に入山するという習わしになったそうです。
本尊の阿弥陀如来像は鎌倉北条氏をはじめ有力御家人と深い関わりのあった鎌倉時代の仏師運慶(うんけい→代表作は東大寺南大門の金剛力士像)の作と伝わります。もとは下総の有力御家人の千葉常胤(ちばつねたね)が守護仏として祀っていたものといい、南北朝時代中期の1363(貞治2)年3月15日に修復されたことを示す紙片が胎内から見つかっています。
蓮乗院は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡材木座村の条に次のように記されています。
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材木座村
光明寺 塔頭蓮乗院
総門を入て右にあり、当院は本坊草創已前(いぜん)密刹にて蓮乗寺と号せり、開山良忠此寺(このてら)に居て光明寺を建立す故に今に住持入院の時は先(さきに)此院に入て後(のち)方丈(→光明寺の大方丈)に入る古例なりと云(いう)、本尊は弥陀の彫像にて肚(→腹)裏に紙片ある貞治二年(南北朝時代中期→1363年)三月十五日修復之の十二字を記す、是運慶(→東大寺南大門の金剛力士像などを彫った鎌倉時代の仏師)が作にて千葉介常胤(→下総の大豪族御家人)が守護仏なりと伝ふ。
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【蓮乗院の山門】



【蓮乗院の本堂】



【蓮乗院の内陣】



(千葉常胤の守護仏だったという阿弥陀如来像)
【蓮乗院の境内】


(寺紋は千葉氏の家紋の1つ右向き月星紋です。)


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↓↓本山である天照山 蓮華院 光明寺
↓↓千葉常胤と「君待橋之碑」


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