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向福寺(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

円龍山 向福寺(→神奈川県鎌倉市材木座2丁目)は、鎌倉時代中期の1282(弘安5)年に天照山 蓮華院 光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)を開山した良忠の門弟・一向俊聖(いっこうしゅんしょう)が創建した時宗(じしゅう→開祖は一遍)寺院です。1282(弘安5)年は2度目の蒙古襲来(→元寇)である弘安の役に勝利した翌年にあたり、同年10月13日に病気療養中であった日蓮宗の開祖日蓮が門徒の池上宗仲邸(→現在の池上本門寺)で死去しています。

一向俊聖は、良忠のもとで浄土宗の修行を積みますが、のちに諸国をめぐり一遍とは別系統で踊念仏(おどりねんぶつ)を行い、浄土時宗開きました。しかし、ほぼ同時期に活動して行跡が類似する一遍と混同され、江戸時代に時宗12派の1つとされて「時宗一向派」と呼ばれるようになりました。
また、江戸幕府は浄土真宗の公式名称を「一向宗」と定めたため、「一向宗」から時宗を連想する人は少ないように思われます。ただ、鎌倉時代の「一向宗」は、一向俊聖が広めた踊念仏を基本とする浄土宗系の浄土時宗のことでした。

向福寺は、江戸時代には本山・末寺の制により遊行寺(ゆぎょうじ)の名で親しまれる時宗総本山の藤沢山 無量光院 清浄光寺(→神奈川県藤沢市西富1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。


向福寺は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡乱橋村の条に次のように記されています。

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乱橋村
向福寺
円龍山と号す、本寺前(→藤沢山 無量光院 清浄光寺)に同じ、本尊三尊弥陀を安ず、各立像、安弥陀作。

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【福向寺の山門】
向福寺の山門1

向福寺の山門2

向福寺の山門3



【福向寺の本堂】
向福寺の本堂1

向福寺の本堂2

向福寺の本堂3

向福寺の本堂4

向福寺の本堂5

向福寺の本堂6

向福寺の本堂7



【福向寺の境内】
向福寺の境内1
(庫裏)
向福寺の境内2

向福寺の境内3


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踊念仏(おどりねんぶつ)〗
念仏(→南無阿弥陀仏)を唱えながら鉦(かね)・太鼓(たいこ)に合わせて踊ることで、極楽往生の恍惚感に浸れるという教え。踊屋(おどりや)とも呼ばれた市屋道場(いちのやどうじょう)をつくって興行する様子が『一遍上人絵伝』に描かれています。

踊念仏・一遍上人絵伝
(『一遍上人絵伝』より)


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