妙長寺(神奈川県鎌倉市)を訪問しました
海潮山 妙長寺(→神奈川県鎌倉市材木座2丁目)は、鎌倉時代後期の1299(正安元)年に日蓮の弟子・日実が開山した日蓮宗寺院です。6代執権赤橋北条長時の命令により、日蓮は1261(弘長元)年5月12日から1263(弘長3)年2月22日まで伊豆国伊東(→静岡県伊東市)に流刑となりますが、妙長寺は日蓮が流される時に船出した材木座沼浦に創建されました。
江戸時代前期の1681(天和元)年の津波で堂宇が壊滅したため現在地に移転し、再興されました。江戸時代には本山・末寺の制により長興山 妙本寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼を担っています。境内には法難御用船・鱗供養塔・伊豆法難記念相輪塔など、山号の通り海に関するものが多く祀られていました。
妙長寺は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡乱橋村の条に次のように記されています。
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乱橋村
妙長寺
海潮山と号す日蓮宗比企谷妙本寺末、開山は日実と云(い)ふ、元弘元年(鎌倉時代末期→1331年)十月廿三日寂、本尊釈迦を安ず、小名沼浦に当寺の旧地あり、今も除地(→諸税が免除された土地)なりと云(い)ふ、何の頃此(ここ)に移りしにや。
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【妙長寺の山門】






【妙長寺の本堂】






【妙本寺の内陣】



【妙長寺の境内】





(庫裏)


(鱗供養塔)

(伊豆法難記念相輪塔)
【妙長寺の浄行菩薩】
法華経に出てくる四大菩薩の1つで、水が穢(けが)れを清めるように、煩悩(ぼんのう→苦しみや悩みのもと)を洗い注ぐとされる観音像です。近世には浄行菩薩の体を撫でたり洗ったりすると自身の体の良くない所が治ると信じられていました。







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〖泉鏡花と妙長寺〗
妙長寺は、1891(明治24)年の夏に短編小説『高野聖』(こうやひじり)で人気作家となった泉鏡花(いずみきょうか)が滞在していたといい、怪談小説『星あかり』の中に、妙長寺に友人と寄宿している主人公が、夜の墓場を徘徊するうちに閉め出されてしまう場面が次のように記されています。
「妙長寺という、法華宗の寺の、本堂の隣(とな)った八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向って左手に、葛籠(くずかご)、革鞄などを置いた際に、山科という医学生が、四六(しろく)の借蚊帳(かりかや)を釣って寝て居るのである。声を懸けて、戸を敲(たた)いて、開けておくれと言えば、何の造作はないのだけれども、止(よ)せ、と留めるのを肯(うなず)かないで、墓原を夜中に徘徊するのは好心持のものだと、二ツ三ツ言争(いいあらそ)って出た、いまのさき、内で心張棒を構えたのは、自分を閉(とざ)したのだと思うから、我慢にも恃(たの)むまい。」
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↓↓日蓮の辻説法について


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